今回は先日、旦那さんがアスペルガーと診断され向き合っているが、何も変わらないというパートナーから相談を受けましたので少し診断後も大変という話をしたいと思います。
まず、私の感覚を素直に書きたいため、勘違いされたくはないので、最初に断らせていただきます。
アスペルガーとの生活は、パートナーには大変な苦痛と苦しみを与えてしまうことは、十分理解しております。だからこそ、今回は、まだ診断もされず苦しんでいる方やアスペルガーとの生活に疲れている方は、この記事を読んで希望を失ってほしくないので読み飛ばしていただきたくお願いいたします。今回は、診断を受けた当事者との生活について、もう一歩踏み込んだ話になります。
まずは、当事者が自分の特性と問題に気がつくことが始まりです。まずは、今の環境が少しだけでも変わること、それが重要です。その先の苦労まで知っても辛くなるだけなので、読み飛ばしてください。
アスペルガーと診断されると、自分の特性に気がつけたりといいことばかりと思われがちですが、その逆のこともたくさんあります。私だって自分の特性を知ったことで行動が変わったのも確かです。
しかし、決して私の価値観や考え方が変わって全く別人になったわけではありません。
昔に比べれば行動が変われば環境も大きく変わるのも確かですが、その逆もあるのです。
当事者は、今まで自分がまわりとは違う特性を持っていると知らずに生活していました。
みなさんも、もし今の自分が世の中から受け入れられにくいと自覚してしまったらどうします?
自暴自棄になったり、自分自身のことがわからなくなりませんか?
発達障害当事者だって、みなさんと何も変わらない人間です。みなさんから見れば、私たちは間違いだらけの人間だと思われるかもしれません。しかし、私たちにとっては自分の世界を間違えているとは思ってもいません。確かに自分の価値観や考えと違う時に取る行動は間違えていたのかもしれませんが、自分の価値観や考えを間違えていたとは思っていません。相手の気持ちや価値観や考えを取り入れることは知らなかったし、自分の価値観や考えを上手に伝えきれないため勘違いされることも多いのですが、ちょっとしたことで否定され続けると我慢にも限界はくるものです。私たちも、アスペルガーとわかり気をつけて生活していても、自分の行動に不安にもなるし、今まで持っていた自信もなくなり、とても生活しにくいことだっていっぱいあるのです。
そのストレスはかなり大きいのです。
それでも、少しでも自分を変えていこうと行動しています。なかには、努力しているわりにはあまり変化しないことで、開き直ったり投げやりになり逆効果になってしまったということさえあります。
そこに、診断を受けたことで家族からも「発達障害だから」と簡単に言われるようになります。
発達障害でなくても誰だって、こだわりは持っているもので、それをこだわりひとつひとつ発達障害のせいにされたのでは、当事者にとってはたまったものではありません。
家族は、いつまでたっても、自分に不都合なことがあると「話を聞かない」「思い込みが激しい」と言う。自分の気持ちの整理も苦手で、伝えることも苦手だけれど、それでも改善しようとしているのに、なんでもかんでも発達障害という言葉で片付けられると、私たちアスペルガーは何も発言もできないし、我慢するか、無関心でいるしか方法はありません。
診断を受けてから「アスペルガーだから」と言われると何も言えなくなるのです。
正直、私も何度も「もういいや、離婚しよう」と思ったことも何度もあります。
そのたびに、思いとどまって、我慢して、何度も何度も我慢してきました。
できるだけ、家族がやりたいようにやらせて、私は私で自分のやりたいようにやっていますが、家族に関しての意見は言えなくなってしまいました。
子供たちの勉強や進路についても、私の考えなんて反映されることもないので無関心にもなります。食事も自分が食べたいものや、こだわりのある食べ物は自分で作ります。
そうして、自分の価値観を押し付けることを避けていますが、迷惑もかけてもいないこだわりを否定されたり、関係ないことまで発達障害のせいにされるのは、流石に我慢するのも難しくなります。
だからと言って、私の価値観や考えを強く主張すると、どうしても私の価値観や考えを押し通してしまう結果となることも確かです。だから、私も多くは語らないようにしています。
それが、私も一番だと思っています。
最近、私が我慢できなかったのは、私は妻と話すと不機嫌な態度をとられることが多いので、子供とおしゃべりをするのが家では一番の楽しみなのですが、私と子供が喋っているのに、子供に聞きたいのに、妻はいつも横から話を遮って子供との会話を終わらさせてしまうため、何度も「子供と喋っている」と言うのですが、我慢できないのか横から入ってきます。
そんなこんなで、私もそっとしておいて欲しいことも多いのです。
私にだって自由に行動したいこともあるし、ましてや関係ないことまで批判されたり邪魔されたのでは我慢の限界に達することだってあります。
そのために、私も距離を取ることを大切にしています。
世の中では、「旦那が自分勝手」「距離を感じる」という理由で離婚する夫婦も少なくないとは思います。しかし、それぞれが自分で楽しみを見つけたり、距離を置かないと関係を保てない夫婦もいます。
発達障害の診断を受けて、全てが変わると思われるかもしれませんが、そんなに人間が別人になることはありません。それぞれが、妥協もしなければバランスを保つことはできません。
私たち当事者だって、必要以上に行動を制限されたのでは、共に生きる意味はないです。
お互いが、共に生きる意味が考えられなくなれば、どっちが正しいとか、間違えているかなんて議論には何の意味もありません。
せっかく、診断まで受けて向き合っているのに、「それは普通のこと」と短所や失敗談ばかりあげて批判されたのではさすがに私たちも一緒にはいられません。
今日より明日、明日より明後日と一日一日を共に歩めれば、世で言う「普通」なんて行動に捉われ、採点を続ける意味なんてありません。
まあ、診断を受ける今ままで我慢してもらっていた事実は確かですけれどね。
だからと言って、当事者に「別人になれ」というのは、私たちにとってはできるわけない話です。
それは、みなさんだって別人になれと言われてなれますか? 同じように少しずつしか改善もできないし、すべてを変える何て不可能なことです。私たちにも楽しく自分の価値観やこだわりを大切に生きる権利はあるのですから、何かあれば過去のことを言われ、反論すれば「発達障害」って言われ、誰だって自分の考えを持っているし、価値観も、こだわりもあります。
何かあるたびに、天下の宝刀のように「発達障害」と斬られたのでは、行動や考え方を見直したり変わる意味すら感じられなくなる気持ちは私にもとてもよくわかります。
誰だって、理想のパートナー像ばかり追い求められたら苦しいでしょう?
それはわかって欲しいと思います。
こだわりが強くて、自己満足や傲慢さやわがままな部分もあるところもわかっていますが、ある程度は認めてあげないと、それができなかったら私たちにとっては、もはや私たちの人生でもなく私たち自身でもないのです。決して発達障害の特性が悪いことばかりではありません。家庭の中まで今までまわりともうまく付き合えず認められずに生きてきたことと同じ状態に戻ったのでは、私たち発達障害の人たちの居場所はどこにも無くなってしまいます。
せっかく、診断まで受け自分の特性を知ることができるようになっても、生きづらくては意味がありません。私だって7年経っても未だ模索している状態です。慌てず共にゆっくり考えて行くことが大事だと思います。私たちも、診断を受けた日から、自分の特性を使って生きる生き方を見つけ生まれ変わろうとしているのです。もし、その生き方に大きな問題があれば改めないといけませんが、ある程度は個性として認めていただきたいと思います。
みなさんが、穏やかな日々を求めて歩まれてきたのと同じように、私たちも不器用ながらも穏やかな日々を求めて歩み出したばかりです。
「診断を受けていない時に大変だった。診断を受けてからも何も変わらない。」という話もよく聞きますが、本当に変わろうとしていないのでしょうか? 今一度見てあげて欲しいと思います。
もし、当事者が変わろうとしているに、気がついてもらえなければ、変わることの価値観なんて気が付けないですからね。
そして、この記事は読まないでとお願いしたのに読んでしまった、これからなんとか診断を受けてもらおうと考えている方、診断を受けたから別人になるわけではありません。診断を受け、そこから当事者がどう考えどう行動を変えていくか、そこから始まるのです。「読まないで」と警告したのに、もし今回の記事で希望を失った気がする人もいるかもしれません。でも、当事者自身が特性を知り、自分の生き方を見つけられなければ、共に生きることは難しいのは確かです。
ぜひ、発達障害者当事者の生き方も認めてあげながら、共に尊重しあえる仲になっていただきたいと思います。
発達障害でなくても、夫婦共に生きるのは難しいものです。相手が発達障害ならもっと共に生きるのは難しいのは当たり前です。でも、診断を受けて当事者もどれだけ大変かを十分わかるようになりますし、だから、必要以上に考え行動するようになることもあります。良くも悪くも一度こだわると徹底的にこだわるのもアスペルガーの特性です。そして、それがかなりのストレスとなってしまうことだってあります。価値観や考え方を共に一致させる必要はないと思います。
しかし、気持ちの共有と尊重する気持ちだけは、共も必要だと思います。
それだけでは、まだ不足でしょうか?
せっかく、発達障害と診断されたチャンスは、当事者にとってもパートナーにとっても大きなきっかけです。診断は当事者だけのためだけのものでも、パートナーのためのものでもありません。
共に特性と向き合い共に生きやすい生き方を考えるきっかけだと私は思います。
夫婦仲がうまくいかないのは、発達障害が原因ではなく、その特性を個性として共に生きやすい選択をしていないからだと思います。どっちらかの言い分ばかり、どちらかの我慢で成り立つものではありません。
しかし、ここまで我慢し導けたパートナーの力は偉大で賞賛に値することだと思います。
どちらが上とか下とかでなく、価値観や考えなど方向は違えど、共の人生を尊重し認め合い、共に充実させることができればいいのではないでしょうか?