アスペルガーについて、7年間ブログを書き続けて、やはり多いのが
- 暴言ばかり言う
- 小言ばかり言う
- 無視される
この3つが、一番多いのではないでしょうか?
こだわりが多く、こだわりが強いために気がついたことをなんでも口にしていれば、当然小言も多くなるし、そんな生活を続けていれば、怒ってばっかりで、暴言が増えるのは当然です。
でも、なんで無視し続けるの?
その疑問は、当然ですよね?
これは、ひとえにコミュニケーション能力の低さで、行き着いた結論が口を利かないという結論に達してしまうことが多いと思います。
私だって、無視した方が楽という気持ちよくわかります。
私が無視し続けた時の心境
こだわりや執着することやその人のマイルールはいろいろあるので、一概には言えないかもしれませんが、私も何ヶ月も妻と会話しなかった時もありました。
最初は、「おい、皿くらい洗えよ」「掃除しろよ」「冷蔵庫に賞味期限切れのもの入れるな」「休みだからってダラダラいつまで寝てるんだ」「どこ行ってたんだ」「いつ飯作るんだ」「料理がまずい」と見て感じたことをすべて口にしていました。
私は目にするもの全てが私の価値観と違っていれば口にしていました。
当然、誰もがそんな息苦しい生活に耐えられなくなりますよね?
時には、「何回言っても言うこときかないんだから、もうお前には何も言わない」という気持ちにだってなります。
では、「今はそんなこと思わないの?」と疑問に思いますよね?
当然、今でも思ってています。食べもしない一口しか残っていないあまりものが冷蔵庫に何日も入っていたり、賞味期限が1年以上前のものがあったり、冷凍庫にいつ買った肉かわからない肉があったり不満は今だっていっぱいあります。
でも、今は気がついたら、遠慮なくバンバン冷蔵庫の中身も捨てています。そして、見ないように部屋に閉じこもってリビングにいる時間を減らしています。
でも以前と違うのは、思ったことをなんでも口にしないようにしているのと、怒る前にクールダウンをするため自分の部屋でクールダウンするようにしています。あと、私自身がだらしなくなる努力をしています。
そんな私が、もし以前のように気がついたことを口にしていたら、喧嘩にもなります。
妻は私と「話し合いができない」と言うくせに、こっちの要望は聞いてくれないのですから、私だって怒りたくもなるというものです。
でも、それを上手に伝えたり、共に生活しやすいように提案したり話し合ったりという、コミュニケーション能力がないのです。
今は、クールダウンして怒りを鎮めて、話をしますが・・・・・
当時の私は、喧嘩になれば私も理性を失い、怒りに身を任せ取り返しのつかない状態になったりしていました。そうなると、私は自分の殻に篭っていました。それが自閉症スペクラムと言われるものです。
もし、それが友達とかなら、絶交してもう二度と会わなければいいだけなのですが、夫婦となるとそうもいかず、口も効かなくなるのです。
そうなると、何を言われても反応することも、返事をすることもしたくなっていました。
それが、私の解決策だと自然と普通に思っていました。「俺は、もう二度と口をきかない」と決めてしまえば、その決断を持続するだけで、私の生活は永遠と続くのです。その行動が夫婦仲を最悪な方へ向かっているなんてことさえ考えもしませんでした。
ただただ、「俺は口を利かない」そう決めた生活を私は送るだけでした。
もし、そんな中、妻がなんとか改善しようと努力し話しかけてきても、逆に私の決意を無視し私の邪魔をする行動としか捉えていませんでした。何を言われても「俺に話しかけるな!」という気持ち以外に何も考えられませんでした。
私は、二度と口を効かない生活をただ続けていただけでした。
どうしたら良かったのか?
多分、私に何をされても何も考えなかったでしょう。聞く耳も話す気もないのですから・・・・
では、そんな結末はどうなったかというと、想像つくでしょうが答えは離婚です。
でも、私は子供たちが大好きで妻と離婚することより、子供たちと離れ離れになるのが嫌だったことに気がついたことが私にとっては、とても大きなきっかけでした。
その時、はじめて私のとっていた行動が、どれだけ夫婦生活において私自信の人生も一緒に狂わせていることに気がついたのです。
こんな私の感覚に、みなさんはすごい違和感と理解できないという思いが込み上げておられることでしょう。
「そうならないように、話をしようと言っているんじゃない」と言いたくなりますよね?
当然、私が無視し続けていた間、妻なりに考えて行動はしていたはずです。でも、その行動が私の決意を更に強めていたのです。
「じゃ〜どうしようもないじゃない」って誰でも言いますよね?
まったく、その通りなんです。
アスペルガーの私は、自分で実感できないと、考えることさえしませんでした。
私の場合は、「離婚」がきっかけでしたが、もしかすると、私を無視して離婚に向かって家族で楽しくしていたら、どうだっだろうと考えてみました。
今は、その時の状態でないので、確信を持っては言えませんが、もしかしたら、自分の馬鹿馬鹿しい行動を見直したかもしれません。もしかしたら、「いい度胸だ! こっちから離婚してやる」と離婚に向かって私自身が行動したかもしれません。
当時を振り返って
きっと、私が離婚を決意したとしても、そんな私なら離婚して妻と子供たちで苦労しても楽しく生きていった方が、子供たちも妻も幸せだったと思います。
あの時、私の中に「子供たちと離れ離れになる」という恐怖を感じることができなければ、今の幸せな生活を続けられない結果になるところでした。
普通に考えれば、当たり前のことだと思われるでしょうが、私にとっては考えもしなかったことだし、結果が良い方向にすすんだだけで、紙一重の感情で私にとっては運がよかっただけというのが現実でした。
その後、発達障害ということを知り、発達障害について興味を持ち、調べまくり病院にもかかり、ゆとりある生き方、私の思い通りになるのが私の幸せだと勘違いしていたことに気がついたこと、俺が幸せにしてやっているという思い上がりに気がつき、家族が笑い幸せに暮らしていることが私の幸せでもあり、そこに私自身の余裕がうまれているのだということに気がついて、家族が楽しく、それぞれが自由に人生を楽しめる家族を作ることが私の喜びと変わりました。
無視していた時何を考えていたのか?
すいません先に謝らさせてください。決定的な解決策を教えることはできません。期待して読まれている方に本当に申し訳なく思います。できれば、ウルトラCのテクニックを伝授したい気持ちはあるのですが、私も運がよかっただけで思いつきませんしわかりません。
しかし、私のその時の心境など、思い出せる限りの感情や行動を書かせていただこうと思います。
私は、部屋に閉じ籠り自由な時間を手にしていました。
今までのように、ご飯を作ったり、苦手なコミュニケーションもとらなくていいし、パソコンやバイクや好きなことを、好きなだけ私は自分の時間を満喫していたのです。家族が崩れているなんてことは何も考えていませんでした。
妻が辛い思いをしているなんてことは、想像もしたことはなかったし、子供たちに対しても悪影響を与えているなんてことも考えもしませんでした。
ただただ、毎日会社に行き、思う存分残業して仕事にも集中できるし、家に帰れば好きなだけ自分の趣味の時間を楽しめたのです。大好きなテレビを好きなだけ見て、好きなだけお酒を飲んで、好きなだけ遊んだり、仕事をして満喫していました。
そういう生活に私自信は満足していました。私自信不自由に感じたこともなかったし、そんな生活が長く続くはずもないなんて、考えもしていませんでした。きっと「離婚」という現実を間近に突きつけられない限り、私は自分の時間を満喫していただけだったと思います。
幸い、私は料理もなんでも自分でできたので、何も困ったことがなかったのです。
では、妻が土下座して泣いて謝っていたとしたら
もし、その時妻に泣きつかれ、土下座でもなんでもして、私の思い通りになることを約束して許してあげたとします。きっとそれは最悪な事態になっていたと思います。
もしかしたら、最初は妻のそういう行動が、私の傲慢さに拍車がかかったのかもしれません。
当時の私なら、「やっとわかったか! 反省したのなら、今回は許してやる! 今後は気をつけろ」と私が正しかったことに酔いしれていたことでしょう。その結果、以前に増して俺様の生活に拍車がかかっていたことは確実でしょう。
私たち、アスペルガーの人生ってそういう生き方のうえに成り立っているところがあります。
仕事でも、能力のないやつのことなんて考えもしないし、置いてけぼりにして、その人が会社を辞めようが気にもしていなかったことでしょう。
より、自分の人生を豊かにするのは、自分の思い通りに生きていくことだと、疑いもせず我が道を進んでいたと思います。
じゃ離婚するしかないの?
それも違うと思います。だけれど、我慢ばかりの人生を続けないといけないのであれば、離婚という選択も必要だと思います。
でも、もし離婚以外にも、家族の幸せが自分の幸せだと気がつけるきっかけさえあれば、変わる可能性は大いにあると思います。
かと言っても、今までそんな生活と程遠い世界で生きてきた私たちが、いきなり人が変わることはありません。でも、その経験と経験値の積み重ねが、私たちの価値観や感覚を少しずつでも変えていく可能性はあると思います。
私は、息子の発達障害を勉強して、自分の特性を知りましたが、アスペルガーらしく何冊本を買ったのかなんてわかりません。発達障害やコミュニケーションや自己分析の本など、手あたり次第買い10万円以上は書籍代に注ぎ込みました。
そして、自分の生きづらさを息子にはさせたくないと、息子の手本となり背中を見せようと決意したことも大きかったと思います。しかし、そんなことを考えても失敗ばっかりで、何度も何度も同じ失敗を繰り返していました。
どんなに本を読んで病院に通院して気をつけていても、いつ離婚されても仕方がない状態で、妻にもなかなか認めてももらえない毎日に嫌気もなんども感じていました。
もし、私のように発達障害を自覚しても、なかなか変われるものでもなく、幾度となく失敗し続けるため夫婦生活をいつまでも続けられる保証もなく不安を感じることも多いと思います。そういう意味では、自立の準備はしておく必要があるかもしれません。大人になって発達障害とわかっても、今まで当事者にとっては、発達障害がゆえに成功してきた人たちも多いので、全否定なんてされても理解も納得もできるものはないのです。
問題なのは発達障害ではない
やはり、発達障害という言葉はインパクトもあり、当事者にとってもパートナーにとっても、かなり抵抗があると思います。
当事者の私たちですら、自分のことがなかなか理解できないことばかりです。
私は、発達障害と自覚してから、病院に行く数ヶ月前からこのブログを書き始めました。
反省して、失敗したら失敗したことを記事にしてきました。
そして、多くのコメントや相談とともに、批判的なメールもいっぱいいただきました。でも、そのひとつひとつが、パートナーの気持ちだったり、悩みだったり、私が感じ取れないことや考えつかない感情や気持ちを教えていただきました。当事者からのメールもいっぱいいただきました。アスペルガーと向き合っている多くの立場の方からメールやコメントをいただき、今まで考えもしなかった、まわりの意見を学ぶことができました。そして、記事を書けば書くだけ自分の行動を振り返り、自分を分析したり、私自身の弱点だけではなく長所となる武器についてもあらためて気がついたりしました。
発達障害と知り、まわりに気を使いすぎて仕事ができなくなった時期もありました。
でも、アスペルガーだから成功してきたことに改めて気がつくことができたことで、すぐに取り返すことができました。最初は業績も落ちて「まあいいや」って気持ちでしたが、武器を武器として使いこなせるようになり、今はさらに業績も伸びまくっています。
アスペルガーの特性は、使い方を知らなければ呪われた剣です。攻撃力は強力な武器なのですが、まわりに災いをもたらす呪いの剣なんです。しかし、その呪いを除霊できた時、本当の最強の武器となるのです。
問題なのは、発達障害ではなく、その特性を知らず活かす術を知らないことが弱点なのです。
「家族を幸せにする」というこだわりを「俺のいうとおりにしていれば間違いない」というこだわりで行動したりしていました。でもそのこだわりも「家族が考える自由な豊かな生活を実現する」というこだわりに変えると、普通の家族では遠慮してしまうことでも、平気で実現に向けて協力できたり、興味のないことに関心を持たない特性も、家族が望むことに興味がないなら、無条件に家族に任せればいいし、怒ると怒りに身を任せてしまう特性は、喜んだり楽しむことに身を任せ、思いっきり喜んで楽しめばいいし、馬鹿のように大笑いして、馬鹿のように喜んで、馬鹿のように家族を愛して、家族から馬鹿といわれればいいし、子供たちから馬鹿にされても、違うことで見返せるだけの自信を活かせばいいし、決してこだわりまくる特性がまわりを不幸にするのでなく、その特性を活かす術を知らなすぎたのです。
なんでもこだわるなら、それは一人でこだわればいいし、自分だけの居場所を作ればいいだけだし妻たちから見て見るに耐えられないなら、見えないようにすればいいし、私が見て気になるなら、必要のないことまで極力見なければいいし、怒りが治らないなら、その怒りを別の形で錬金術でも使って違う形に変えて生活していれば、そこまで、ストレスもなく生きていけるようになります。
でもそういう、感覚って頭では考えられないんです。
私も、家族との生活で学びました。「えっ?」と不思議に思われるかもしれません。でも、みなさんが当たり前の感覚でも、40年、50年生きてきて初めて実感する感覚だったりすることは、山ほどあるのです。
思いっり笑って、今まで感じなかった「馬鹿じゃないの」と言われている笑顔が心地よかったり、なんでもない何気ないちょっとした行動に「ありがとう、嬉しい」と言われ、嬉しいという感覚を感じたり新鮮で未知の感覚を感じるようになりました。
娘たちは、私が長期出張で家をあけ、私が寂しく帰ってきた時に欲しいものをおねだりすると、なんでも買ってくれることを利用して、私が出張のたびに、漫画をおねだりして、買ってあげると大袈裟に喜んでくれるのを私が喜んでまた何か買ってあげるという、そんな馬鹿なことを続けています。私だって馬鹿じゃないのですからそんなことくらいわかっています。でも、それが今は嬉しいのです。昔の私なら怒ったり、娘たちの行動を批判して二度とそういうことができない親子関係にしていたでしょう。
実は、今も出張中で今週末土日も仕事で家には帰っていません。そこに、娘から漫画全37巻を中古で1,800円程度で買ってとLineがあり、「いいよ」と昨晩お酒を飲みながら注文してあげたのです。しかし、翌朝、目が覚め気がつくと間違えて18,000円出して新品37巻を買っていたことに気がつきました。めちゃめちゃ後悔と、やり場のない緩徐にパニクってしまいましたが。その話をしたら、娘は大笑いして呆れていました。
まあ、今週末は土日と休日出勤したし、昨日の休日手当が飛んだだけなので、私も諦めて気にしないように心がけていますが、やっぱりちょっと残念です。以前なら「お前のせいで・・・」と自分の失敗の原因を娘のせいにして怒っていたと思います。そういう感覚は今でも実感できます。
でも、私の失敗を笑ってくれ、いつまでも私と娘の忘れられない思い出として残るなら18,000円ならお釣りが来ます。
そうやって私は今、幸せな気持ちを家族から教えてもらっています。
大事なのは、発達障害を治すことではありません。
発達障害の特性を知ることです。そして、その特性をまわりも当事者も感じながら、活かしていくことが成功の秘訣だと思います。
細かなことでもこだわるから生きてこれた
私たちは、細かなこともこだわっていたから成功したことも多いのです。
そのこだわりを、勘違いしてなんでも「俺のいう通りしていれば間違いない」と勘違いして、周りにも強要したりするから、おかしくなっていくのです。
こだわることを、否定されたら私たちは生きていけません。
なんでも、こだわってしまう生き方しかできないのですから、そのこだわり方について共に考えていければアスペルガーともうまく付き合っていけるのではないでしょうか?
こだわりの食べ方があるなら、その食べ方をさせてあげればいいし、こだわりの文房具があれば買ってあげればいいし、さすがにこだわりの車を買うのは経済的に問題はあるかもしれませんが、プラモデルやこだわりの自転車やバイクなど、経済力に合わせて、時には我慢してもらわないといけないことだってあるとは思いますが、できることだけでも、こだわらせてあげると、私たちはとても幸せな気持ちになります。
一回「欲しい」と思うとどうしても欲しくなるのもアスペルガーですが、そこはお互いに嫌な思いをすることもあるとは思いますが、そういうバランスを身につけていくことで、長く共同生活を送ることができる気がします。
細かいことを、ひとつひとつしつこく言われても、嫌気が指すだけで二度と話すらしたくなくなります。ごわりを指摘したくなる気持ちもよくわかりますが、365日24時間こだわりまくっていますから、指摘するなら100分の1で十分です。常に指摘されれば、それは私たちにとって私たちの感覚を全否定している行動としてか受け止められません。
無視しつづけるアスペルガー
無視を続けているアスペルガーに対策はないのですが、その決意の中に飛び込むのは逆効果だと思います。タイミングをみて「その行動の先に何があるのか」考えるきっかけだけでも与え、その答えに期待し、ことと次第では、次の行動を考えるしかないと思います。
やはり、パートナーの努力だけでは、アスペルガーの人との生活は持続できません。
アスペルガーが、自分の特性をひとつひとつ、少しずつ知っていき、ひとつひとつの経験と体験を得て成長しない限り、お互いに限界はすぐに来ると思います。
仮に、その状況を感じ取れたとしても、その事態をどう処理していいかも、その後のどう行動に活かすのかも考えられないのですから・・・・・
そして、世間一般でいう平穏な幸せとは違うかもしれませんが、お互いの人生が豊かになる生き方を共に考えていかないと、どうしようもないと思います。でも、アスペルガーが自分の特性を受け入れることができた時、そこからが始まりだと思います。
なかには、開き直ってしまうアスペルガーだっていっぱいいると思います。
「俺は、アスペルガーなんだから、お前が気をつけろ」と開き直った事例もよく耳にします。
私だって、「俺はアスペルガーだから仕方ない」と思うことは多々あります。
そこまで、否定されたのでは私も生きてはいけません。でも、今の家族に看取られて死んで行きたいし「大変だったけれど楽しかった」と最後くらい言われたいですからね。
決してあなたが悪いわけではない
決して、あなたがアスペルガーのことを知らないことや、怒らせてばかりのあなたが悪いわけではないのです。世間一般的に誰が悪くて、誰が正しいと整理を付けたがりますが、アスペルガーは、外では少しは猫も被りますし、少しはリミッターも効いています。
でも、家に変えると、リミッターも外れ、一切気を使うことさえしなくなってしまうのです。
我慢もしないし、俺様の世界に入り込んでしまうのです。
どんなに、世界一般的な意見を述べたところで、俺様の世界には、そんな常識は存在しないのです。みなさんがよく口にする「普通は・・・・」なんて普通は存在しません。家の外では「この馬鹿が」と思っていても我慢できていたことが、家ではできないのです。
今のコロナ禍の時代のニュースを見ていても、私はすごく違和感を持ちます。
勉強もでき、経済的にも恵まれ、国民のためと、政治家やテレビのコメンターの私より優れた人たちが、毎日のように政治のせいにしたり、誰かのせいにして自分が正義の味方のように語っている姿に私はすごい違和感を感じます。批判するだけなら誰でもできるし、なぜ悪人を作ろうとするまか?
そして、そういうコメントを望む人たちはまともなのか?
災害時も同じです。過去に事例がないため良い方法を信じて動いている人たちを批判したりと、正義を振りかざす姿は、私たちアスペルガーと何がちがうのか?
とても、私には「なんとかしよう」ともがいている人たちに、あたかも自分が正義かのようにコメントし批判している人たちを見て、私たちより心がないのではないかとすら思います。
コロナ禍で損をしている方々もたくさんいる反面、コロナ禍のおかげで忙しくなっている業種の人たちもいっぱいいるのです。時には、コロナ禍で儲けている人たちの報道があってもいいと思いますが、連日苦労している人たちだけの話だけが報道されます。
消費税が8%から10%上がっても、100万円の買い物をして2万円高くなっただけです。
なのに、「生活が苦しくなるどうやって生きていけばいいのか」なんて大袈裟な人のコメントだけを報道していますが、たとえ食費が20万円の贅沢な食事をしていた人たちでも2000円の税金です。
たった、「2000円で生活が苦しくなるかよ」って私は思っていました。
20万円の食費を使える人が2000円で生活が苦しくなるはずもないでしょう?
そりゃ〜2000円で苦しくなる人だっています。だから、そういう人たちを救うためなら私はもっとあげてもいいと思うし、視野の狭い報道にすごく違和感を感じたりもします。
国や県が時々出す、特別予算なんて数ヶ月で慌てて納め切れる製品を見繕った企業が言い値で落札して儲けているだけなのにその実態をどれだけの国民や県民は知っているのだろう?
それを各テレビ局が、毎日のように施策の指摘ばかりを報道している姿に違和感を感じていた人はどれくらいいたのだろう? そもそも、鳥もも100gの妥当な価格を知っている人はどれだけいるのだろうか? 本当にギリギリの生活をしている人はテレビなんて出ないだろうし、大袈裟なコメントだけを見て賛同している人は多いのではないだろうか?
そういう報道に賛同して見ている人たちが多いから、テレビ局はそういう報道をするし政治を批判したり、企業を批判するのだろうけれど・・・・
そういう真実を知って、聞いた人がそれぞれに考えることではないだろうか?
偉そうなコメンテータの意見を当たり前だというのであれば、私たちの方がまだ普通なのでは?とすら思ったりもします。報道は時事だけを伝えればいいのに、変な先入観を植え付けているようにしか私には見えません。
勘違いしないでくださいね。私が正しいとか間違えているかなんて、今はどうでもいいのです。
テレビで言っているから正しいとか、多くの人が言っているから正しいなんて私には思えないという話がしたいだけです。
ちょっと素が出て過激な文章となりましたが、私自信が未だに一般論を受け入れ難いという気持ちを表現するために、極端な感想を書かせていただきました。
戦時中、お国のために国民全員の一致団結を求められ、誰しもが日本国のために我慢し、我が子を死ににいかせていたのが当たり前だったように、みんながしているからという、変な価値観に囚われる必要はないのです。
世間に目を向ける前に、私たち家族が豊かになれることを一番に考えていいと思うのです。
それは、アスペルガー当事者も皆様も同じように、それぞれが考えればいいだけのことです。
今は、いろいろな意見を求められるツールも発展しています。アスペルガーもそうでない方も、いろいろな考えと価値観で生きていける時代です。
世の中なんて、アスペルガーの考え方がおかしいと思うと同様に、矛盾したことがいっぱいなのです。相手がアスペルガーだろうとなかろうと関係はありません。あなたが、そんな俺様の世界の住人になってしまったのでは、せっかくのご自身の人生は無くなってしまいます。俺様の世界は、ひとりで俺様の世界にいればいいのです。無理して住人になる必要はありません。ご自分が幸せになって、違う世界を見せてあげるくらいの気持ちでいいのです。
ご自分が幸せになっていいのです。そこに、当事者と共に感じる幸せとは違うかもしれませんが、毎日のように泣いて、辛そうな人生を送っていても、アスペルガーもまた別の辛さを感じながら共に辛い人生を共に歩むだけです。
私も、結婚して7年間、俺様の世界の幸せしか考えてきませんでしたが、今ではたくさんの幸せを家族からもらっています。そして、幸せに感じています。私には、家族に幸せな生活を教えてあげられるほどの経験も知識もないので、家族それぞれが考えて行動すればいいと思っています。私はそれを応援するだけです。そんな思いの邪魔だけはしないよう心がけています。
もしそれで、家族が失敗したとしても、一緒に笑って一緒に後悔します。
私の力で幸せにはしてあげられないけれど、幸せになろうとする家族を応援して助けることは私にでもできます。そして、一緒にに喜んだり悔やんだり、私が経験してこなかった人生を一緒に体験させていただきたいと思います。自分の価値観に凝り固まったアスペルガーの私の価値観での家族の幸せはあまり期待できません。でも、こんな私でも、家族の好きなことをやらせてあげらるし、欲しいものは買ってあげることもできます。
私は、馬鹿みたいな今の家族が大好きだから、私はもっと馬鹿になります。
娘たちから「お父さんちょろい」と言われても、私に向かってそんなことが言える娘たちの舐めきった行動に幸せを感じています。
ある意味無責任な父親だと私も思いますが、私が深く考えなくてもそんな立派な父親にはなれません。そういうことは妻や子供たちが考えてくれるでしょう。私はそれでいいと信じています。
私は馬鹿になりたいし、そんな家族の笑い声を聞きながら笑っていたいのです。
どうか、みなさんも、ご自分の人生を大切にしていただきたいと思います。
間違えても、奴隷のような生活だけはしないでください。
俺様の世界に染まらず、アスペルガーはその時その時の感情や思いつきで変わることも多いので、あまり根を詰めて考えずに、ご自分をしっかり持って考えてみてください。
私自信、私みたいな人とどんなに努力をされても一緒にいたいなんて全く思いません・・・・
そんな私に、今の家族を私に与えてくださった神様に感謝です。
そして、今まで私のブログを読んで私にいろいろ教えてくださったみなさんに感謝です。
何冊もの本を読むより、私と似た人の相談や愚痴が私にどれだけの知識を与えてくださったのかわかりません。
よその旦那さんの問題点が、私の問題点であることもたくさんありますしね。
私のような、凝り固まった人間には、とてもわかりやすく、アドバイスを考えることが、私の行動になり私自信のことをたくさん振り返る機会を与えてくださいました。
私も、息子のように早くから自分の特性に気がついていれば、人生の半分以上を無駄にせずにすんだのですが、その分は、これから取り返して笑って生きていきたいと思っています。
皆様にも、笑える生活が続きますように、これからも応援させていただきます。
決して、アスペルガーだから絶対に話が通じないということはありません。
通じていても、反応を間違えたり、口にする言葉を間違えたりもします。
たとえ、話を聞いて納得したり、理解してもその気持ちを伝えることができません。
遠回しの言い方や、雰囲気で察することが苦手で、理解し納得しても今の私の状況を感じさせることも、伝えることもできない、わかりにくく難しい生き物ですが決して根っからの悪人ではないと思いますので、少しずつ変わっていければお互いに人生が変わることもあると思っています。
言葉にも、態度にも表現できない私たちですが、今まで勘違いされたり、伝わらなかった人生が私たちを作り上げている部分も多々あると思います。少しだけでも、そういう気持ちで行動している結果が今の態度や発言だと、少し大目に見ていただけると、私たちもすごく安心して接することができるのではないかと思います。
無視を続ける相手を、ちょっとだけコミュニケーションが取れない人の悪あがきだと思って、少しだけでも見ていただけると、お互いの人生の支点になるのかもしれません。