アスペルガーとの結婚生活(離婚・結婚)について


少し、立て続けにメールをいただいたので私なりに、アスペルガーとの結婚生活について書きたいと思います。

最近、記事の掲載がめっきり減ってしまっていますが、私もなんとか私生活を送っています。
記事もいくつか途中まで思いついた時にメモ程度には書いているものはあるのですが
コロナ禍によって、自宅でも仕事に没頭することが多くなり、メールは書いていますが・・・
せっかく途中まで書いているものも含め、徐々にアップはしたいと思います。

アスペルガーの人と結婚した、また結婚したい、という方のメールもとても多いのですが・・・・
しかし、時には私から見ると「う???ん????、それってアスペルガー???」と思うことも多いのも確かです。
決して、それが悪いことではありません。ただ、『アスペルガー』という強い印象の言葉に、振り回されている気がすることがあります。
久しぶりの記事なので、ちょっとだけアスペルガーについて、大前提のことを先に書きます。

アスペルガーの特性って誰もが持っているものです。
だから、一部の行動で相手がアスペルガーと決めつけるのは、相手に関して勘違った見方をしてしまうことも多いとは思います。
アスペルガーでなくともこだわりが強く、自分の価値観が優先する人はいます。しかし、こだわる頻度が多い人で生活に支障が生まれている人をアスペルガー症候群として診断されます。
 アスペルガーの特性が多い人だからと言って、自分が困っていなければ何も問題はありません。
まわりの人に「アスペルガー」と言われても何も状況は変るものでもありません。
なかには、自分と違う価値観や考え方から相手を「発達障害」と思い込む人も多く、逆にあなたが発達障害なのかも・・・と思うことさえあります。
人は、いろいろな特性や価値観を持って生きていますので、相手の特性ばかり指摘していても、それでは何も変わりません。
「アスペルガー」「発達障害」というインパクトも強い言葉で、一括りにしたのでは本質は見えてきません。少し相手を冷静に見る気持ちも大切だと思うこともよくあります。

前置きはこれくらいで、結婚前なら別れてしまえばいいだけ、結婚しているなら離婚してしまえばいい。なんて・・・・
第三者は簡単に「今どきの人は簡単に離婚する」なんて言われますが、アスペルガーの私でも好きだった人と別れたり、離婚することはそんな簡単なことでないことはわかります。私たち夫婦もお互いに何度も離婚を考えましが、なんとか未だに喧嘩もしますが、一緒に笑うことも多々あります。

なかなか、離婚や別れを考える当事者以外の人には、その心中は理解できない方も多い物です。

それぞれに、発達障害という特性を知り、時には見てみぬふりをしたり、ある程度の距離感を保ちながら、それぞれの人生について考え、お互いの人生を邪魔しないように協力もしながら共に歩んでいくことで共同生活もできますが、言うほど簡単でないことはみなさんも感じられていることと思います。

「アスペルガーだから」という見方ばかりしていると、その先には離婚や別れと言った結論にしか辿り着きません。だからと言って、どちらかが我慢する共同生活ほど地獄もありません。

アスペルガーだからということで、当事者やパートナーのどちらかだけが我慢した生活では、永く共に生きるなんてことは不可能だし、お互いに少しずつより良い方法を追求していくことで、解決していくしかないというのが、共に生きていくということです。


アスペルガーだから一緒にいられないの?

「アスペルガーだから」と全てをアスペルガーのせいにしていませんか?
米津玄師さん、長嶋茂雄さん、イチローさん、スティーブ・ジョブズさん、などアスペルガーですがみなさんお嫌いですか? 一緒だと思いますか?
しかし、一緒に過ごしている家族は大変な人もいると思います。
イチローさんのように、毎朝カレーを食べる生活に我慢できない人だっているでしょう。
私も実感していますが、「アスペルガーだから」と一括りにされたのでは、私たちアスペルガーだって一緒にはいられません。

私たちアスペルガーも、自分なりにこだわりを持って生きてきたから今があるのです。
私たちからすれば、ほとんどの事にこだわりを持たない人の方が苛立ちを感じたりもします。どうでもいいことにこだわるアスペルガーと、またったくこだわらない人と、うまく生活するには、いろいろと問題になることがあります。

確かに、目の前にあるもの鉛筆、パソコン、テレビ、トイレの使い方、食事の味付けに見た目、飲み物から、シャンプーや歯磨き粉、掃除の仕方、洋服の生地、温度や湿度、旅行の仕方、買い物の仕方、お金の使い方、食材に乗り物と、あらゆるものにこだわりを持たれても、そんなこだわりに価値観や生活ペースを合わせることなんて不可能です。

苦しんでいる方の大半が、このこだわりにより、指摘されたり罵倒されることで自尊心を失ったり、時には強く矯正されたり、激怒されたりと、そんな日々に耐えられなくなっている方が多いのではないでしょうか?

よくアスペルガーのことを、「文句や指摘ばかりするのに、自分はできていない」と怒る方もおられます。
そりゃそうです。アスペルガーだって、そんなにこだわっていたとしても、すべてこだわれるはずもなく、大半のことは自分の思い通りにはならないし、自分自身できないのは当たり前といえば当たり前なのです。自分自身のことですら苛立ちストレスを感じているうえ、身近な人にも、そのこだわりを求めてしまうため、お互いが生きづらくなっていることも多いと思います。

私も例外ではありませんでした。
当然、今でも、まわりの人の行動などすごく気になります。でもそんなこだわりを追求することは、「それは無理なこと」ということを知って変わりました。
「じゃこだわるな!」と言われても、それは無理な話なのです。みなさんからすれば簡単なことでも、私たちにとってはそれができれば苦労はないのです。こだわりが強く、こだわりが多いのがアスペルガーですから、簡単にこだわらないようにできれば、最初からしています。
見るからストレスになるし指摘してしまいます。
だから、最低限「人にはこだわりを求めない」ということを意識して生活をしてています。
その代わり、自分の範囲内は自分のこだわりの中で生きています。

極端な例えですが、高収入なイケメンだから浮気すると言われるのと同じです。
浮気もしない理想のイケメンもいますが、アスペルガーだって悪いことばかりではないのです。
確かに、アスペルガーだから困ったことも多々あります。それは間違いありません。
だけれど、「アスペルガーだから」と決めつけて、行動を批判していたのでは、「イケメンだから浮気する」と言っているのとあまり変わりありません。
まずは、「アスペルガー」ということは置いておいて、どういう行動が問題なのかを洗い出すことから始められてはいかがでしょうか?

アスペルガーと決めつけることが悪いの?

「アスペルガーと決めつけることが悪いの?」と聞かれることもあります。
そういうことはありません。「アスペルガーかもしれない」と相手を見ることは決して悪いことではありません。アスペルガーの特性を知ることで、対応の仕方が変わってくることも多々あります。
しかし、「コミュニケーション能力が低いから」「思い込みが強い」「感情のコントロールが苦手」だから、「病院に行ってもらってアスペルガーと診断されて治してほしい」と考えられる方が多いですが、それは無理な相談だと感じることは多々あります。

決して、「諦めろ」と言っているわけではありません。
先にも書きましたが、アスペルガーと診断されるのは、アスペルガー当事者が社会生活や家庭生活において困り、解決するために当事者が病院に行った時に診断されるのです。
イチローさんやスティーブ・ジョブズさんが病院なんて行きませんよね?
もちろん、私たちはそんな偉大な人ではないですが、私たちだって自分自身に少なからず自信を持って生きています。
いくら周りの人が悩み相談で病院に行ったところで「う〜ん?旦那さんアスペルガーかもね」と言われたところで何も状況は変わらないのが現状です。

病院に行ってみるとわかりますが、当事者にどうなりたいかという気持ちがなければ予約さえとれない発達障害専門の病院の方が多いのです。

アスペルガーについて本を買うと、いろいろな分析やまわりの人の対応方法について書かれた本はとても多いです。でも、「アスペルガーはこうして治す」という本はありません。
アスペルガーを治す=当事者の意識改革・価値観の幅を広げる
というのが正しいのかもしれません。
コミュニケーション能力が低く、感情のコントロールができず、自分の価値観に凝り固まっている人に、それぞれの能力を高められるようにサポートするしかまわりりの方はできません。

確かに、アスペルガーだから面倒な特性はいっぱい持っています。
しかし、コミュニケーション能力の低さや感情のコントロールが苦手なため、まわりとの共同生活が苦手な人も多いのです。
しかし、アスペルガーでなくても、コミュニケーション能力の低さや感情のコントロールが苦手な人もいるでしょう?生い立ちのなかで十分な愛を与えられなかった人が、大人になっていろいろな問題を抱えながら育った人もいるでしょう。
わがままだったり、感情的な人はすべて発達障害と括ってしまうことは簡単ですが、それは単純に種別化しているだけで、何も解決はされません。

 発達障害の本の全てが正しいとは言いませんが、一般的な価値観や考え方の違いや、対応方法について、さまざまな視点から分析されているものが多く、役に立つ考え方や対応方法が書かれているものも多いです。この一冊を持っていれば大丈夫なんて本はありませんが、その中にいくつものヒントを見つけることができます。
私も多くの本を読んだり、当事者やパートナーのメールなどから、さまざまな違いや考え方や感情を学んで活かして生活をしています。自分を成長させるって、それは何歳になってもみなさん同じじゃないですか?

 とくにアスペルガーにマニュアル的な対応は無意味です。でも、アスペルガーを相手にしていると、「あっまた、独自思想まっしぐら状態だ」「今は、考えが整理できていない」「感情のコントロールを失いかけている」という、いくつものタイミングに気がつくことができます。
それは、アスペルガーでなくても、感情のコントロールが苦手な人や自分の考え方を伝えられない人は多く、そんな時に話し合いや議論を求めたのでは、感情のコントロールが苦手な人に対応できるはずもありません。

じゃ私たちは我慢するしかないの?

こだわり、自分の価値観に凝り固まったアスペルガーと共に生活するには、「私たちが我慢するしかないの?」とよく聞かれます。

それは立場を変えると、「アスペルガー当事者が我慢するしかないの?」ということと同じで、そんなのは、お互いに無理な話なのです。
パートナーが我慢ばかりしていても、そんな生活がいつまでも続けられるはずもありません。
かと言って、当事者と話し合っても無駄なことは、今までの経験で嫌というほど体感されていることでしょう。
「だから私はほとんど関わらない」というのは20%は合っています。まともにぶつかっていたのでは身が持ちません。しかし、会話すら何もしなくなれば、ただでもコミュニケーションが苦手なのに、さらに悪化するだけなのです。

ちょっとだけでいいのです。話の中で納得できることであれば「あ〜そういうことね。だったらいつもそう言ってくれるとわかるんだけれど」と育ていくしかないのです。
納得いかない時は「わからない」と距離を置くことで、当事者にとって大切なことは感情的になって話したりします。「わからないし、そんなに怒って説明されても余計にわからないから、落ち着いて整理して教えて」と距離をとることも大切だと思います。

私も、「なんでこいつはわからないんだ!!! バカなのか!!!」と思って生きてきました。
しかし、物事には重要性の大小があり、その物事の大小を考えられるようになり変わりました。そして、大切なことは落ち着いてきちんと伝えることを少しずつ経験を積みながら今でも続けている感じです。

感情のコントロールが苦手な人には即答を求めるのではなく、時間を置いて考えてもらうことが大切ですし、クールダウンの時間を与えてあげなければ成長できません。

私たちにとっては、少しだけ協力いただけると変わるチャンスを得られます。

だから、無理はしてほしくないのです。
頑張って無理をしてもらっても、私たちも頑張ってもなかなかできないことも多いのです。
私も今だに「またやってしまったか・・・・」と後悔することもあります。

楽しそうにしていると不機嫌になる?

いつか、「主人は、私たちが楽しそうにしているとすぐ怒る」というメールをいただいたことがあります。「それって人としてどうなの?」と思うことですが、実は私もちょっとわかる気もします。
コミュニケーション能力が低いため、仲間に入れず無意識にパニックになることもあります。
普通なら「え???なになに???なにがあったの???」から始まり「いいなぁ〜俺もそこに居たかったなぁ」となるのが一般的だと思います。
でも、「お前らだけ行ったのか?」「なんで俺には教えなかった?」など、その場に居られなかった事に苛立ちを感じ、無理なことを考えてしまうのです。
そりゃ楽しいことが起こることを知っていれば仲間に入れられても、そんな楽しかった結果に文句言われても無理な話ですよね?

まあ、時にはわざわざ誘うほどのことでもないと思って誘わないこともあるし、予想もしていなかったことが起きたことだって起こるでしょう。

例えば、「ねぇお祭りに行こう」と誘って「面倒だし暑いし汗かくから行かない」と自分が言っておきながら、「あれ美味しかったね、花火綺麗だったね」と楽しそうに帰ってくると、「縁日の汚い食事して、あんなのが美味しいのか?」「どこどこの花火の方がもっと大きくてすごい」など不機嫌な顔で気持ちを共有できなかったりします。
楽しそうな時間に自分が居られなかった苛立ちに対して、自分に言い訳するように、そのような態度になってしまうことがあります。

こうなってくると、「そんなの知るか!!!」って言いたくなりますよね?

そうなんです。アスペルガーと向き合うという事はそういうことなんです。
「知るか!!!」ってことに「どうしたらいいの?」と悩むだけ無駄なんです。

自分の価値観に凝り固まっているアスペルガーは、自分が楽しかったことを帰って話して「あなただけいいね」と軽く言うと怒るくせに、人が楽しそうにして帰ってくると真剣に怒ったり、今の私でも少しは頭にそう言う感情が今だにあるのかもしれません。
でも、以前の私と今の私で大きく違う事は、その楽しさを体験できなかった残念な気持ちはあっても私は私の楽しい時を過ごし、家族は家族で自分達の人生を楽しい時間を過ごす。それぞれが楽しい時間を過ごし、その楽しい時間を共有し合うことが大切なことに気づいたからです。

「えっ? なに当たり前のこと語ってんの?」と思われますよね?
まったくです。自分でも笑ってしまいますが、感情のコントロールが苦手なこともありそれができないんです。そういう価値観や感情の共有ってのができなかったんです。
だから、今は、家族もそれぞれ自由に楽しい事にどんどんチャレンジしてもらい、同じように私は私で楽しいことを見つけようと思っています。
そして、その楽しさや価値観に上下や大小はなく、小さな楽しい気持ちを絶対に評価したり、余計なことを言わないように心がけています。

そして、「今度は俺も誘ってよ」とか「今度はみんなで行ってみる?」とか体験も共有することも考えるようになりました。

離婚と結婚について

正直、私の娘がアスペルガーの特性を持った人と付き合ったり、結婚したら「別れろ」とまずは夫婦揃って反対すると思います。
でも、お互いが弱点や苦手なことを理解し、認め合う努力ができるのであれば応援してあげようと思います。
毎回毎回、お互いに失敗したり喧嘩したり泣いたりしたら、その度に毎回毎回逃げてきたっていいし
それを繰り返しながらでも、お互いに「理想の夫婦」を目指しているのであれば、精一杯の応援をすると思います。
もし、逃げることも許さず、娘の幸せをことごとく奪うようなら、私は絶対に許しません。
私の全てを賭けて娘を守ります。

まず、その前に娘たちは、発達障害の大変さを小さい時から目にしていますから、現実も対応策もよく知っているでしょうけれどね。

アスペルガーだから大変なところもあるでしょう。むしろ大変なことの方が多いかもしれません。
しかし、その生活の中に、少しでもアスペルガーでも共に生きているから得られる幸せがあるのなら一緒に考えたいと思います。

それは、私自信も同じで、家族に迷惑もかけるし、不快な思いをさせていると思うし、努力だけではどうにもならないし、我慢によるストレスが余計に関係を悪化させることも何度も経験しました。

「だから、こんなお父さんだから、お父さんを利用して楽しく幸せになれ!! なんでも協力する」と子供たちにも話しています。とはいえ、調子に乗って漫画の本ばかり買わされたり、いいように扱われており、娘たちには「お父さんちょろい」と中学一年にして女を武器に軽く手駒にされていますが、今は、そんなバカな私が自分でも好きです。
教育熱心な妻と反対に、「そんな勉強ばかりしてどうする?馬鹿だから勉強しないといけないんだよ」と言うと「お父さんの時代と今は違うんだよ」とあしらわれ、勉強しているかと思うと、Youtubeやアニメを見ながら勉強している姿に、「まあ、勉強しないよりマシだね?」と甘々なお父さんでいるようにしています。もちろん、そこには娘たちはしっかりと、38歳で大学院に行って臨床心理士になった妻の姿をしかっり見ているからこその信頼だと思います。

私の人生観は、教えようと思っても教えられるものでもないし、いざと言う時に生きる力や術は一緒に考えられるし、勉強ができなくても、将来収入が低くても、そのなかで楽しい事、幸せを見つけられるようになってくれれば何も言わなくていいと思っています。

多分、今までの私が子供たちを私の価値観で育てていれば、娘たちは人生に不安しか感じない成長をしていたと思います。今は、妻が臨床心理士となり自分の道を切り開く姿を見せているのであれば、私は、バカで適当で発達障害持ちのダメダメ父親でも楽しく生きている姿を見せているだけでいいと思っています。

私は、アスペルがーでいろいろなこだわりを捨てることもできないし、感情のコントロールも苦手だし、自分の気持ちや考えを正確に伝えることがとても苦手な、決して自慢できるような人間ではないですが、家族に恵まれ、私自信が楽しく、家族を自由に育てられるようになれたと実感しています。
私にできることは、家族が自由に楽しく過ごせる経済力と反面教師な父親でいることくらいです。
なら、徹底的に究極の自由奔放な父親でいようと思っています。

アスペルガーだからお互いに理解できないこともありますし、常識が通じない部分は多々あります。
苦労も失敗も多いです。でも、お互いがその現実を知って向かい合うことができれば、幸せな形はそれぞれにあると思います。

それでも、娘たちには普通の幸せを、発達障害の息子には理解あるパートナーを願うのは、父親としてはわがままながら当然の気持ちです。

ちなみに、私たち夫婦は発達障害の息子との生活も大変でした。
発達障害の親からは、発達障害の子供が生まれる確率も高いですから、でも私と妻と息子は同時期に発達障害と診断されました。息子も今までとんでもないことをしてくれたこともありましたが、今は、とてもできた息子に育ち、今では英語に興味を持って勉強をしています。

最近では、彼女もできたみたいです。
でも、さすがアスペルガーの息子、夏休みなのに家でゲームばかりしていて、デートしている気配もないのは、ちょっと心配ですが・・・・・

もし、アスペルガーの人との結婚を考えるのであれば、それぞれの幸せを求められる関係になれるかを今一度考えてほしいと思います。離婚を考えられているのであれば、今後、それぞれの幸せを考えられるか否かを考えて決断した方がいいと思います。

もし、奴隷やアスペルガーの人生の犠牲にしかなっていないと思うのであれば、私は離婚を決断し、苦労してでも、ご自分や子供たちの幸せを選ぶべきだと思います。
「アスペルガーだから離婚する」のではなく、ご自分の人生や子供達の人生に必要なパートナーか否かだと思います。
幸せに大きいも小さいもありません。一緒にケーキを食べる時間、一緒に庭手入れする時間、乗る少し話す会話、それどれの幸せを感じる時間は人が決めることでもないし、採点したり評価されるものでもありません。ケーキも一緒に食べなくてもいい、買ってきてそれぞれに食べて「おいしかったね」と少し気持ちを共有する時間に幸せを感じることもあると思います。少しの時間でも、そのなかで得られる幸せがあるのであれば、それは大きなことだと思います。

私はすでに離婚届には押印して妻に渡してあります。
決して、離婚しない自信があるわけではありません。私だって家族との別れの先に幸せを感じれば離婚するかもしれません。同じように妻たちも、私との幸せが考えられないのであれば、それは仕方がないことだと思っています。
だから、私も努力はしますが無理はしません。(少しは無理もしますけれどね♪)
私の特性のために、縛り付けたくないだけです。そして、私自身も縛られたくないのです。

一般論や世間体より、共に生きるということは、子供たち一人一人を含めどれだけ家族一人一人が人生を豊かにできるかだと思います。私みたいな面倒なパートナーは、なかなかいないでしょうしね?

この先「お父さんよりマシか?」と時には思えてもらえれば、大半はたいしたことないでしょうしね。私の存在価値もあるというものでしょう。

「相手がアスペルガーだから離婚したい」「相手がアスペルガーだから結婚どうしよう?」ではなく
その人と、今後どういうふうに共に生きていけるかだと思います。
でも、アスペルガーとの生活は、大変なことには間違いありません。

「話し合いもできないし、一緒にいても楽しくないから別れる」って選択も普通だと思いますし、受け止め方、考え方は人それぞれですが、弱点だらけのなかにも、ご自分の幸せが見つけられるのであれば、共に歩むことは可能かもしれません。

まとめ

私は、「アスペルガーと向き合うには」なんて大それたことは言えませんが
どういう時に、自分でも気持ちのコントロールができなくなるのか、どういうところで我慢しないといけないのか、理解してもらえない気持ち、理解できない気持ち、理不尽に感じること、試して成功したことや失敗したこと、「発達障害」と診断された後の行動、「発達障害」の子どもとの接し方など、自分達家族の経験は共有できます。
決して私たち家族のスタイルが理想だなんて思いません。
私たちも、その都度その都度失敗を繰り返した結果、いろいろなスタイルに行き着いたひとつの結果論に過ぎません。

子供たちが小さかった頃、喧嘩ばかりしていた私たちのおかげで、子供たち三人は一度も喧嘩することなく、いつも三人で笑って過ごしていることが、私たち夫婦にとっては一番の自慢です。
私も妻も欠点だらけな親ですが、子供たちだけはよくできた子供たちです。

私にとっては、生まれ変わってもこの家族でと思っていますが、私以外は、父親だけは変えてほしいと願っているでしょうけれどね。これは冗談ではないところが悲しすぎますけれどね。
死ぬ時にだけ、優しい言葉をもらいたいと願って、今回はこれくらいで・・・・・・・

仮に死ぬ時に、「じゃぁね!」と軽く見送られても、見送ってもらえただけで喜びますけれどね。
そういう日が迎えられるように精進していきます。