アスペルガーは人の気持ちがわからないの? 話し合いもできないの?


「アスペルガーの人は、人の気持ちがわからないの?」って質問はとても多く今までにも何度と書いたのかわからないくらい書きました。
過去の記事にたくさん書いてあるのですが、私も7年が過ぎアスペルガーの私にできることも、できないこともわかってきたので、改めて新しく書こうと思っています。最近私のブログを読まれている方も多いようなので参考になればと思います。

唐突ですが、アスペルガーの気持ちって、みなさんわかります?

わからないですよね? 基本的にはアスペルガーから見ても同じ感じなんです。
相手の気持ちを考えたりする行動もアスペルガーだってアスペルガーなりに考えたりもするものです。ただ、ちょっと平均的な考え方や感覚とはズレていることも多いですが、それはアスペルガーでなくても、相手の気持ちを正確に理解するとは難しいことだと思います。

でも、平気で傷つけたり、話し合いに応じてくれなかったり、大きな声で怒鳴り散らかしたりと普通では考えられないくらい狂暴な態度をとったりするのが、同じこと?
って思いますよね?

現実はまったくもって、おっしゃる通りなのですが・・・・

でも、アスペルガーの人だって、音楽を聞いて感動したり、歌詞に共感したり道端で見つけた花に感動したり、困っている人に声をかけて助けたり、映画やドラマ見て感動して泣くんですよ。
以外と普通なんです。

なのにどうして?

なぜ気持ちがわからないと思われるか?

 決して、人の気持ちがわからないわけではありません。
ただ、平均的な考え方や価値観とのズレが大きいことはあると思います。
そして、アスペルガーの独特な行動や言動により勘違いされることも多いのです。
アスペルガーだって、人に嫌われたくもないし、まわりともうまく付き合いたいと思っています。
しかし、なかなかできず、中には諦めてしまったり、気にしなくなったり、開き直ったりする人も多いかもしれません。

でも、基本的にはアスペルガーだって平穏な日々を夢見ている、みんなと同じなんです。

でも、生き方が下手くそで、行動が伴わないんです。

コミュニケーション能力が低い

アスペルガーの特徴として、一番の原因であるコミュニケーション能力の低さがあります。
コミュニケーション能力の低さの原因は、アスペルガーのこだわりによる執着など複雑に関連していて相手の考え方や価値観を取り入れ、より良い答えを出すことが苦手なため、一方的な押し付けになったり、投げやりになったりと、会話のキャッチボールをすることができないことも多く、小さなころから、そういう自分本位のコミュニケーションを取り続けていたこともあり、コミュニケーションが苦手なんです。


例えば、冷蔵庫に毎日食べている大好きな納豆が切れていたとします。
普通の人は、「あっ、納豆切れてるよ~買っといてね」となります。

しかし、アスペルガーの人は、「なんで毎日、切らすなと言っているだろう!」と自分にとっては、あるはずの物がなかったりすると、その事実が信じられないことのように思えるのです。
それが、アスペルガーの偏ったこだわりの特徴でもあります。

そうなると、「お前はバカか、毎日買えばいいだけだろう、毎日言わないとわからないのか? バカなのか?」と怒り出したりするのです。

ニュースでよく見る煽り運転のドライブレコーダを見て、「なんでこんなことするんだろう」と普通の人と同じように思うのですが、その片隅で「煽られている奴も何かしたのでは?」とアスペルガーでなくても、そういう想像をしてしまうことはあると思います。

でも、普通はそんなことを口にしたら誤解を招くかもしれないと、口にしなかったり言い方を考えたりするものですものですが、アスペルガーはオブラートに包むようなコミュニケーション能力の高さを持ち合わせていないため、「どうせ、煽られたやつもチンタラ走ってたんだろう」とあたかも、煽り運転を擁護でもするかのように口にしてしまったりすることもあります。
決して本人は、擁護したつもりもなく、思いついたことを口にしただけなんです。

しかし、まわりの人は、「この人なんて人なの? こんな人が煽り運転するんだろうな~」と勘違いされてしまうことはよくある話なのです。
だからと言って仕方がないと言っているわけではないのです。
本人は、そんなこと思っていなくても、まわりから見ると、勘違いされても仕方がない言動が多いという話です。

女の子に向かって「最近太った?」と決して、デブとか言っているわけでもなく、なんとなくそんな気がしたことを簡単に口にしてしまったりします。心では「めちゃくちゃ太った」なんて思ってなく何となく感じたことを口にしてしまい。あたかも「めちゃくちゃ太ったやん」と言わんばかりに受け止められることもあります。
本人は、別に批判しているわけでもなく、むしろ愛着を持って気楽に話をしているつもりだったりします。

よく女の子で、後ろにボタンがある服を着ている人がいますよね?
「へぇ~女の子のデザインってそんなのもあるんだ~」と思った気持ちが「後ろ前逆じゃないの?」と言い方を間違えることも多々あります。「それ変だよ」と勘違いされる言い方をしているなんて自覚がないのです。

まあ、それを世間一般には、「人の気持がわからない」というのでしょうけれどね。

「私、最近太ったのよね」と言われた言葉に、もしかしたら「そんなことないよ」と言う言葉を期待していたのかもむしれません。なのに太った「そんなことないよ」とか「そうなの?」と言えばいいところを、本人が言うのだからそうなんだろうと「確かに太ったかも」と言葉を間違えたりもします。

「この映画面白かったね」と聞かれ一緒に見た映画を楽しんだのに「あれ現実ではありえんやろう」と一部の思いついた感想をしてしまったり、空気を読むことができないことも多く、相手からすると「面白くなかったんだね」と思われることなどよくある話です。

 仕事で仲間が失敗しその尻拭いをして、「仕方ないよ」と責めるつもりもなく一緒に対応したのに、仕事が終わって軽い気持ちで「あ~あいつの せいで大変だった」と事実を口走ったりすることもあります。
「大変だったけれど終わってよかったね」程度の気持ちなのに、「失敗したやつのせいで大変だった」という感じになってしまうのです。

 アスペルガーの言動を見ると、確かに心が無いように捉えられるのは仕方がないことです。
私たちが思っている感情や気持ちを、正確に伝えきれなければ、それは心が無い人と思われるのは当然のことです。悪気がなくても相手を不愉快にしたり責めているような言い方になれば、相手の気持ちがわからないと言われても、それは事実だと思います。

話の前後が無かったり、略しすぎて伝わらないことも多々あります。

 でも、アスペルガーだってそんな、人を人とも思わない考えをもって生きているわけじゃありませんよ。心から酷い人なんてそうそういません。
でも、それを伝えたり表現できないんです。
アスペルガーだって、人に嫌われるのは嫌です。

 同僚の失敗の話にしても「気にするな!失敗はだれでもするよ。失敗してもまたフォローしてやるからさ」と失敗した人に気を使っているつもりが、しつこくその話をしたり、時間が経って思い出したように、その話題を持ち出してしまったりと、気が付かないうちに失敗した同僚を追い込んでいったりと、コミュニケーション能力の低さからくる過ちが多いのは確かです。

いい人になろうとして失敗

 私も、アスペルガーと認識してもう7年が過ぎました。私なりに気を遣って行動しているつもりなんです。
 同僚にも自分にも厳しく仕事をしていた時代もありました。
だから、今は優しく優しくと人を見下したり、人それぞれの能力や個性を否定しないよう自分に言い聞かせて生活をしていましたが・・・・

 ある日上司から、「あまり本社に過剰な評価を伝えないように」と注意されたことがあります。
私は、毎年業績もいいので私の発言は会社でも重要視されることも多いので、かなり過剰に反応してしまう人もいるのです。
 本社のお偉いさんと話したときに「あいつすごいですよ。私はあいつはできると思います」なんて何気なく一部の評価をむしたことことで話が独り歩きして、その同僚はなんでもできるみたいな評価となり、本社への転勤話に発展してしまい、いろいろ混乱を招いてしまったことがありました。

 まあ、正直お偉いさんも「お前ら自分で評価して考えろよ~ばかじゃねぇ~」とは思いますが、私の言う能力の高さと周りが感じる能力の高さに大きなギャップが生じたりするのです。
きっと、もっと正確に伝わるように話もできたのかもしれませんが・・・・・
 私にとっては、どんな人でもその人なりの能力を認めていこうと、思いながら仕事をしているのですが、私が話すと一押しの人材というように伝わってしまったりするのです。

私自身驚きでしたが、期待されて本社に行った彼にとっては飛んだ迷惑な話でした。

ニュアンスの違い

 まだ、私がアスペルガーなんて知らない昔の話になりますが
あるお客さんとのやり取りで、「いや~あれがなくてね~困ってんだよ」というので
「じゃ~うちが面倒みましょうか?」と話をして、「じゃ~お願いするよ」と言われ
見積書を持っていくと、「何、買わせるのか?」といきなり怒り出しました。

 私からすれば、「当たり前だろう? なんであんたが困っているのに、うちの会社が無料で解決すんだよ~」と私は私なりの常識で話をしていましたが、相手からすると「無料で解決してくれていい人だ」と思っていたみたいです。

 まあ、その客も客でしたが、私もきちんと「これを買ったら解決できますよ」と正確に伝えるべきだったと反省しました。

他にも、「これできないかな?」という質問に対して「絶対にできません」と即答して反感をかったこともあります。
「こうこういう理由で、現実問題としてできません」と回答すればよかったのですが、「できない」という事実だけを突きつけての失敗もありました。

この、理由をうまく伝えきれない失敗は、アスペルガーにとっては多いかもしれません。
結論だけを伝えて、前後のないコミュニケーションは勘違いを引き起こす要因となります。

きちんと理由を伝えれば相手も納得することもあるのだけれど、結論だけを伝えてのトラブルは、仕事でもプライベートでも多い気がします。

話し合いができない

 さっきの理由を伝えきれないこととも関係しますが、頭の中に結論が決定してしまうと、その理由を説明したり納得させる行為自体が面倒だったり、煩わしかったりすることもあります。
プライベートの話し合いでも、「俺は反対、それでもやりたければ勝手にすればいい」と相手の考えや理由なんて興味を持つことができないことも多いです。

「俺は反対する理由ははっきりしている、それでもやりたいなら勝手にしろ」というのが私の意見なのです。
相手からすれば、自分の意見を聞いて判断してほしいのでしょうが、私にとってはそんな理由はどうでもいいのです。やりたければやればいいし、ただ俺は反対なだけだ。って感じなんです。

これで、話し合いなんてできるはずもありません。

 ちなみに、仮に意見を聞いたとしてもストレスになるだけで、話の半分も理解してやることができないのです。

 だから、お互いにやりたいようにする。
「やっていい」と言った以上は、それ以上口出しはしない。
ってのが最低のルールですが・・・・・

一応、私だって私なりには聞く努力はしているのですよ。
ただ、すごくストレスで、未だに話し合いは苦手です。

 私の意見と合わないお客さんに時間を使うなんてばかばかしいと思うこともよくあります。
「だったら、余所に頼めばいいろ! 客は他にもいっぱいいるし相手にする時間がもったいない」
と切り替えも早く、気にもしないことなんていつものことです。
もちろん、仕事ですからある程度の妥協はしますが、Win-Winの関係を重視して物事を考えます。
絶対的な自信と強気の商売が信頼を得て結果を残して、結果多くの仕事はとれますが、決して人として理想とは言いがたいものだったりします。

 自分でもわかってはいますが、なかなか相手の考えをそのまま受け入れることは苦手なんです。
だいたいの人は、子供の頃から成長と共に、まわりと共存するさまざまな手法を身につけていくものですが、感情のコントロールが苦手で変化の対応に混乱するアスペルガーにとっては、とても難しいことなんです。

それが、家庭の話となると、尚更のことです。

私も、私の価値観で子供たちの人生を左右はしたくないので、子供の教育などには口出しもしません。
妻が高校入試に息子を2つの塾に行かせても、「そこまでするか?」と思いながら何も言いません。
きっと、妻には妻の言い分もあるのだと思いますが、もし聞いても、きっと私は「どんだけの高校に行くんだ? だからって2つも塾代払うの?」としか言わないでしょうし・・・・
私は、適当に自分の能力ややる気で決めればいいし、まずは家で勉強してから、それ以上勉強したいならいけばいいのに・・・と私なりの正論でしか考えられないのです。

 アスペルガーの私にできるのは、ただ聞くだけで何も反論しないことくらいのコミュニケーション能力を持ち合わせていないのです。

「なんて人なの?」と軽蔑されることもよくわかっています。
でも、聞くだけでも、相手が望むことを反対意見を持っていても認められることが多くなっただけでも私たち家族にとっては、大きな進歩なんです。
何により、話を聞いて理解してあげれば、もっといいことは言われなくても嫌と言うほど分かっているのですが、それができれば苦労はしないのです。毎回毎回努力はしているのです。
でもできないのです。
だからと言って諦めているわけじゃないですよ。私なりに努力はしていますよ。

「相手の意見も聞いて、自分意見も言って、お互いの意見を総合的に一番いい方法を選ぶのが話し合いでしょう?」
そんなことは、私だって十分わかっています。
私だって、言うだけなら言えますが、それを実行できないのです。努力はしているのです。
話し合えば私は感情をコントロールし抑えるだけでもかなりの労力なんです。冷静を装っていても無意識にムキになって、私の正当性を押し付けてしまっているのです。
だから、話し合いは必要最低限にしたくなるんです。
どうでもいいことや、どっちでもいいことなど、話し合いから逃げたくなることはよくあります。

仕事では、どうも信念を持って説得するので営業でも技術者としても相手を納得させてしまう能力は凄いみたいで役に立つことが多いのですが、これが家族の人生のこととなると、私の意見が優先されてしまう確率が高くなることは避けたいのです。
私の発言力が強くなってしまい結果、話し合いにならないのです。

 仕事なら、折り合いがつかなければ、その仕事をしないだけで済みますし、お客さんも折り合いの着く余所とその仕事をすればいい、私も別のお客さんと他の仕事をすればいいだけですが、家庭ではそうはいきませんからね。

でも、家庭を信じて、私がより良い道に導こうなんて考えなくても家族を信じてさえいれば、なんだって許せてしまえるのも私の成長のひとつです。

アスペルガーだって感情もあるし、良くしていこうと思っている。

 決して、私が7年間いろいろなことを考え、経験を積んできたから言っているのではありません。
アスペルガーだって、いろいろなことを考えて、家族を少しでも良くしていこうという気持ちは持っているのです。

 でも、相手の意見を取り入れることが苦手で、自分の考えを伝えることも苦手なので失敗することも多いのです。

 我が家が、7年間で大きく変わったことは、家族は自分の望みを気軽に口にできる環境ができたことで、私はそれを基本的には実現させていこうと前向きに、それぞれが幸せになれるように考え行動できる関係を築いてきたことです。

 流石に、息子が「iPhone13を買って」と言われた時は「それは無理だけれど、希望の高校に合格したらiPhoneSEなら買ってやる」としています。小学生の娘たちも含めiPadは全員に持たせていますし、連絡が取れるスマホもみんな持っています。
LINEやSNSも、世の中にどんなトラブルがあり、どういう危険があるのかをきちんと教えて使わせています。友達の顔や場所がわかる写真などのアップロードは禁止していますが、それ以外は自由にさせています。
 息子が変なサイトにアクセスした時も、ちゃんと報告してきて、対処方法と次から見る時に気をつけることを教えてあげました。中学生にもなって見ない方がおかしいですからね?
 昔は、子供たちが望む物ではなく、私がいいと思ったものを私が買って与えるという感じでした。
家族が失敗する前に、失敗しないように私が全て教えていたような気がします。

 最初は、私の独りよがりの改善を続けていましたが、今は家族みんながそれぞれ改善し、それぞれが行動していけるようになりました。息子もアスペルガーで感情のコントロールを苦手としていましたが信じられないくらい、感情のコントロールもできるようになり、やっぱり自分よがりの部分はあるものの、それを自分できちんと理解もできるように成長いたしました。

 それぞれがいろいろなことに挑戦しその挑戦が成功した時は、みんなで喜び、それぞれの不足部分はそれぞれが協力するのが当たり前の家族になりました。漫画と文房具が大好きな娘には、家事を手伝ってくれることを条件に、ちょくちょく買ってあげるようにしています。
娘は二人いますが、一人は全然手伝いをしません。しかし、もう一人は勉強は嫌いですが、手伝いをよくしてくれるんです。
 私立中学を目指す娘は、塾に行ったり、大好きなスヌーピーの服を買ってあげたりしています。
ゲームが好きな息子には、勉強もすることを条件に無制限でゲームを認めたり、妻は臨床心理士として毎日帰りは20時でも、私がご飯を作ったりと、それぞれがそれぞれの幸せを望み、それを認めて協力し合える関係が我が家です。

 確かに、私には人の気持ちを正確にくんであげることはできないかもしれません。
しかし、それは逆に私の気持ちを正確にくんでもらえないのも事実です。
でも、家族が笑っているのか、空気が重くなっていないのか、それくらいのことはわかります。

今は、子供たちも妻も目標をもって生きているのだと実感もあります。

理想を言えばキリはありませんが、そのキリのない理想を少しずつ少しずつ子供たちも含め理想に向かって家族が前を向いている今を私は幸せに思っています。

 ちなみに、私は平日は出張以外はテレワークをしていますので、家事と仕事をしています。
火曜日にはなぜか、近所の八百屋で魚がめちゃめちゃ安いので、大量の魚を買ってきて、まとめて料理や冷凍したりしています。妻の仕事がいつも遅いので、私が忙しくても簡単に食べられるようにしたりしています。

ちなみに

  ・魚の塩焼きは、表面を焼いて「えっそれ焼けてないんじゃないの」って程度で
   冷凍しておくと、レンチンで美味しく食べられるのですよ♪

  ・あと、醤油、本だし、みりん、胡麻を混ぜてご飯を炊いて、フライパンを使い
   胡麻油で両面焼いて冷凍しておくと、これもレンチンでいつも食べられて美味しい♪

  お試しあれ♪



その代わり、土日は朝から晩まで自転車を無心でこいで出かけています。
何も考えず、ただひたすら自転車を10時間~12時間こいでいます。

今は、その無心の時間が心地よく私の生きがいです。
時には、温泉付きの安いビジネスホテルに泊まりで出かけたりもしています。
そして何より、子供たちとバカな話をするのが毎日の楽しみです。
どんどん父親としての威厳はなくなりつつありますが、それでも満面な笑顔で楽しそうな家族を見ていて幸せだと思っています。

私が理想としている家族とはなんなのか? 私自身がわかりませんが・・・・・
そんなことを考えなくても、家族が笑って自分たちの人生をそれぞれが満喫して充実している顔をしていることが、きっと私の幸せであり、私自身が私の幸せを考えなくていい今は、きっと私にとって今が最高の理想の家族の形なのだと思っています。

私みたいな、コミュニケーション能力の低い難しい父親であり旦那と笑って過ごしてくれる家族には感謝しかないです。
これ以上を望むのは贅沢だと思っています。

不満がないというと嘘っぽいですが、小さなな不満はどうでもいいというのが私の率直な感覚です。

きっと、今までその小さな不満ひとつひとつに反応し過ぎていただけだった気がします。

結論

 アスペルガーの人が、人の気持ちがわからないというのは、感情のコントロールが苦手でコミュニケーション能力の低く、すぐにパニックになってしまうことで誤解や失敗も多いですが、もうひとつに、自分のもつ小さな感覚ひとつひとつに過剰に反応し過ぎるため、自分勝手と思われることが多い気がします。

 鉛筆は尖っていないと嫌だ、お気に入りのシャーペンでないと嫌、シャープペンシルの芯は2B、ボールペンは0.7mm、柔らかい靴じゃないと嫌、音楽は音が良くないと嫌、手元になんでも揃っていないと嫌、古くなったバックは嫌、醤油や味噌も味が変わるのは嫌、眼鏡が汚れていると嫌、マスクはお気に入りでないと嫌、モバイルバッテリーをいっぱい持っていないと不安などなど、どうでもいいことも数多くのこだわりを持っていて、それを全て満たそうと行動しているのです。それが自分だけならいいのですが、その感覚でまわりにも強要するため厄介なのです。

 ちなみに、パソコンのキーボードやマウスは、気にいるものが見つかるまで買い換えます。
一度見つけると、販売終了しないようにまとめ買いをします。
文房具は、絶対に有名なメーカーのシリーズしか買いません。
少しでも、気にいらない部分があるものは、絶対に使わないくらい気になってしまいます。

物に関するこだわりだけならまでしも、トイレットペーパー、石鹸、調味料、生活必需品が切れているのも我慢できないので、必ずストックを買っています。
ずっと妻には言っていたのですが、絶対に切れてしか買ってこないので自分で買うようになりました。

料理をしても、妻が作ると人参やじゃがいもの皮を流しの中で剥いて汚らしく片付けも大変なので、「ゴミ箱のうえで剥けよ」と言ったりしていましたが、もう見ないようにしています。
子供たちが、明太子とご飯をぐちゃぐちゃにして食べたり、カレーライスを混ぜるのも見るのが嫌でした。味噌汁などに煮えたぎった味もないネギが入っていたり、シャキシャキ感がなくなるまで炒められた野菜、鍋を作っても早く、うどんや雑炊を作りたいと、大きな皿に取り分けられるのも、飲み掛けの一口分しかないお茶を冷蔵庫に入れておかれるのも、リビングにごちゃごちゃ物を置かれるのも、氷が切れないように水を入れていないことも、洗濯機の糸屑を定期時に取らないことも、子供の上靴を日曜日の夜まで洗わず乾燥機で乾かすのも、パソコンのデータも整理されずデスクトップにずらりと並んだアイコンを見ることも、とにかく目に入るものには何かしらこだわりがあり気になってしまうのです。

そういうこだわりを常に口にしていると、まわりは息が詰まってしまいます。
その結果、お互いに口を開くと指摘と言い訳と罵り合いしかない会話になり、万年化しお互い顔も見たくなくなるのです。

 きっと、アスペルガーだろうとなかろうと誰もが、「自分だけ幸せであればいい」なんて思って生きているサイコパスはいないと思います。
しかし、現実は自分だけの幸せになっていると言われても仕方ないのです。
先に書いた、こだわりの数々もそうですが、中には「そこまでは」という部分もありますが、理想的で間違えていないことも多いので、正義は自分にあると思ってしまう気持ちもよくわかります。
アスペルガーを軽蔑する方も、自分の価値観で正義と思っている人もいるように、自分と違う価値観に賛同できないことも、お互いにたくさんあると思います。
しかし、こだわりが多すぎるアスペルガーと一緒に生活することは、本当に大変なことです。

 だからこそ、アスペルガーと共に生きるためには、その家族は、自分たちで幸せに向かうことを、誰よりも意識していく必要があると思います。
アスペルガーの成長を待っている間に、家族崩壊しても意味がないですかね。
廃人になる前に、それぞれの幸せを考えることが大事と思います。

アスペルガーだって、家族の幸せを邪魔しようなんて思いません。
もし邪魔するようなら、それはアスペルガーの特性ではなく、ただのひねくれ者だと思います。
価値観は理解してもらえず、評価してもらったり、喜びを共に共感できないかもしれません。
だけれど、アスペルガーってどうやって、人生を豊かにするのか知らない人も多いのです。
家族が楽しんでいるのを見て羨ましく思うことはあるかもしれませんが、家族が明るくなることは、アスペルガーにとっても新しい世界の幕開けだと私は思います。

もし、家族がアスペルガーの知らない楽しみ方をしていたら、俺もやってみようかな?と興味を持つこともあるかもしれません。
アスペルガーって興味ないことには、全く関心はありません。目にも耳にも入っていません。
しかし、一度興味を持つと、とんでもないくらいのめり込みますので、それはそれで大変なことになることも多々ありますけれどね。

アスペルガーだって基本的には、結婚して、家族を持ち、家族みんなの幸せを望んでいると思います。

でも、アスペルガーは、それを伝えることも聞き入れることも苦手で、余計なことばかり口にして、幸せを望む気持ちが伝わらず、うまく幸せの線路に乗れないだけな気がします。
そこで、私が行き着いたのが
伝えることも聞くのも苦手なら、それをできる家族に家族の在り方を任せておけば、必然的にみんながハッピーになれるのだと、長い時間をかけて感じています。

 結果、私が考えていた家族の在り方と今の家族の在り方って、そんなに大差がないと思っています。
私が私の考えを押し付け家族を幸せにしようと思っていたことで、家族の自由を奪っていた昔と
家族がそれぞれに自分の幸せを求め、だから他の家族の幸せを応援し認め合い、それぞれが大好きになっているのだと感じています。

 それを、アスペルガーの人がわかるには、とてつもない時間と経験が必要でした。
しかも、それを行動に移すことは7年経った私ですら未だ難しいのです。
アスペルガーの人が突然、改善されることはないと思います。
しかし、少しずつ少しずつ、子供たちも含め誰しもが自分の幸せに向かっている実感と喜びを感じながら、家族をよりよくしていくものだと私は思っています。

 話し合いは苦手だけれど、納得できないことも認めることはアスペルガーでもできるようになります。そして、その行動ひとつひとつが、アスペルガー特有のこだわりを軽減させてくれているのだと私は実感しています。
トイレットペーパーが無くなるのは困りますが、汚い台所は見なければいいだけだし、ご飯を混ぜて食べるのは「あれはビビンバだ」と思えばいいし、いつも氷がなければ100円で売っているんだから買っておけばいいし、鍋を大きな皿に全部つがれても「これは鍋じゃなくてそういう煮込み料理だ」と思えばいいだけと、我慢できないことが、どんどん減っていくと思います。

 昔は、自分にない価値観や考え方など認めることや尊重することって難しいと思っていましたが、意外と簡単でした。
本当なら、相手の意見や考え方をもっと聞いてあげられるだけの、器になれたらよりいいのでしょうが・・・・・
そこまでは、望まれると私もつらいです。

まずは、家族が幸せになる方法を見せてあげること、笑顔を増やすことが、自分の狭い世界で生きてきた豊かな生き方をする経験が少ないアスペルガーにとって、一番の特効薬なのかもしれません。
「私は、話し合いをしたいの!」と言われるとその答えは私は持ち合わせていません。
でも、お互いが今よりより良い家族の生き方を見つける方法であれば、私なりにたくさんの失敗も繰り返しながら、見つけてきました。

勘違いなさらないでくださいね。「絶対に話し合いなんてできないし、しない」なんて言っていませんよ。話し合いをしても期待に答えることはできないことが多いという話です。
7年前に比べれば、少しは話を聞いて理解する努力はしていますから全然違います。
でも、結果は自分の価値観が強くて、あまり意味があるものにはならないことが多いのです。
「話し合い」って結論、自分の考えを相手に理解してもらうものじゃないですか?
どうしても、50/50の話にならないことが多く、結局は自分の価値観を押し付けているだけになっている気がするんです。
だったら、「よほどのことでなかったら、なんでも好きにやっていいよ」ってスタンスが私たちには合っていると結論付けるケースが多いという話です。