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では、いよいよ私のADHDについて書いていこう。
まず、今この記事を書いている段階では、私は自分のADHDについて気が付いて
2週間程度であることを理解してほしい。
だから、アドバイスできるほど立派な人間ではない。
ただ、私はこのADHDに気が付いてなかっただけで、今まで45年間付き合ってきた
経験と知恵は持っている。
ただ、その経験と知恵には、よかったこと と 間違えていた こととが存在する。
私の反省を含めて書いていきたい。
私がADHDだと気が付いた話は今まで何度かしてきた。
そして、一番のきっかけは 離婚宣告 だった。
その話のなかで、「あなたって、○○○じゃないの」と言われた。
その時は、その○○○が聞こえなかった。そして聞こうともしなかった。
私はその時に、「いつもいつも病気病気と病名で片付けるな!俺も子供を異常者呼ばわりしないでくれ」
その離婚宣告の話で私はもっとも聞きたくなかった言葉を聞いた
「私だって誰かに甘えたいし、ぬくもりがほしいの、あなたとは別れたい」
その言葉は、大好きだったはずの妻から衝撃な言葉だった。
私は、その言葉を聞いて1週間気が狂うほど苦しんだ。
今までになく、頭の中でいろいろなことが駆け巡った。
妻は浮気をしていたのか・・・・好きな人がいるのか・・・・・
妻はそんな器用な人間ではない・・・・そんな時間はないはずだ・・・・
最近下着を買ったな・・・でも、そんなにかわいくなかった男に見せる下着なのか?????
こんなことを1週間、頭のなかで格闘した。
仕事も手に着かず、妻にLineで謝り続けた。
夜中に起こして話し合おうともした。
突然、離婚話になったわけでなく前兆は何度も何度もあった。
そのたびに、私は軽視していたのかもしれない。
それが、ほんの些細なことで 最終的な結末を迎えようとした。
「とても安く泊まれる宿がとれたから、家族一緒に行こう」とLineをした。
すると・・・・・
子供たちのことを考えてくれるのは嬉しいですが、 私はこの先家族でやっていく未来が思い描けません。 子供たちに期待させたり中途半端なことはしたくないと思っています。 |
えっ!!!
その夜、次の日と・・・・
離婚に向けて瀬戸際の攻防が繰り広げられた。というより謝るばかり反省するばかりでしたが・・・・
こんなLineも届いた。下記のLineは妻から届いたLineのメッセージ集です。
気が狂ってってきた・・・・
「あなたは子供たちにはいいお父さんでも、私は母親としての役割を果たすので精いっぱい
あなたのことなんて考えられたい」と言われ傷つく日々を送っていた。
たった数日のことだったが・・・・私にとっては、夜も寝むれずに
人の何十倍もグルグル回る頭でたくさん考え苦しんでいた。
そして、いよいよダメかという気もしたとき・・・・
いろいろ考えてくれてありがとう。 怒るのは嫌だけどお父さんも普通にしてください。 いきなり沢山親切に言われても戸惑います。 少しづつ気持ちが前を向くためには時間かかると思うので。 子供たちが不信に思うくらい話かけられすぎてもどうしていいか分かりません。 時間をください。 |
突然・・・・今まで重たい話ばかりで・・・・
絶対に許してもらえないと思う内容だったのですが・・・・
気持ちが戻ってはないにしても、離婚はとりあえず免れた気がした。
それでも不安で不安で・・・自分の気持ちをコントロールできなくなっていた。
「もういい加減にして!!!!」と何度も言われ・・・・落ち込んだ。
そんな時・・・・
お父さんは堂々としていてください。 押さえつけられ威圧されるのはいやだけど、それがお父さんのよさなので。 |
うれしかった。この言葉は本当にうれしかった。
少しだけでも、見てもらえていたんだと・・・・・
そばにいてくれるだけでも、ありがたいことなのに・・・・・
そんなのは、誰よりも理解しているのに・・・・妻に嫌われるとわかっているのに・・・・
それでも、私は自分をコントロールできなかった。
妻にいろいろと要望を言っていた・・・・・
そんな中、予約していた旅行の日が来た。
ちなみに、妻は保育園の役員会が入っていたらしく、どちらにしても行けなかった。
余談ですが・・・・父母会の会長さんなんです。
旅行中もいろいろ考えていた。
子供たちには楽しんでほしいので、いろいろ楽しませることと
妻のことを考えながら、不注意な自分を知っているだけに運転も
すごく気を遣うため気を使っていた。
子供たちとも楽しい時間を終え・・・
電気も消して・・・一人の時間をぼーと
滅多に届かない妻からのメールを待っていた・・・
すると・・・amazonから息子と勉強しようと思っていた本の配達完了メールが届いていた。
それのメールの下のほうに、シリーズ本の紹介がされていた。
そこで目にとまったのが・・・ADHDの言葉だった。
もしかすると・・・・嫁の言っていた病気なのか????
私はさっそくgoogleで検索してみた。
まずたどり着いたのが
驚いた!!!!衝撃的!!!!!だった。
まさか・・・・俺がおかしいなんて・・・・思ってもいなかった。
このサイトには、チェックリストがある。
息子は半分程度だが、私の場合はほぼ全部当てはまる。
確かに、私の人生は他の人たちに比べて慌ただしい人生を送ってきた。
子供のころのことを思い出した。
夜中にも関わらず、電話でもLineでもしたかったが・・・
また嫌われたくないので我慢した。
そして、寝ずにネットで調べまくり・・・デジタル書籍で何冊か本を買ってみた。
妻が起きるのは、いつも遅く10時過ぎなのでそれまで待ってLineをしてみた。
もしかして、先日言っていたのは adhdですか?すると・・・大文字でADHDと返事がきた。 |
私は・・・・・一気にショックと人生最大の解放感を感じた。
得意の頭の中の暴走が始まった。
そうだったんだ・・・子供の時から
これくらいなら、考えなくてもスラスラ書ける。 |
とても、生活しにくく 苦しかった。
でも、自分だけ 普通にできないのは何故かわからなかった。
だから頑張った・・・・
私にとって、普通のことだった・・・・・
特別なことをしているつもりもなかった・・・・・
私は、なぜ他の人はできないのか・・・不思議で仕方なかった。
「ちょっと頑張ればできるのに」
「ちょっとした時間を大事にすればいいのに」
「なんで通勤途中にでも考えておけばいいのに」
「何秒かかるんだ????」
と思う反面・・・・・
「俺は怠け者だ・・・・なんでできないんだ・・・・」と思ってしまう。
だから、人にばれたくないので必死に頑張ってきた。
私は、人以上に怠け者でできない人間だから、頑張らないとできない・・・・と思っていた。
それは、無意識の中で生まれ持った防衛本能みたいに自分を強くしてくれていた。
私は、ノイローゼで自殺した兄のように悩む時間もなく、慌ただしい人生を送っていた。
わたしは、この話を妻にした・・・・・
と言っても、まだ一部しか話はできていない。
今は、「そっとしておいて」 と言われているからだ。
旅行から戻ってきて数日して、またまたうれしいメッセージが届いた。
それでも・・・・私の頭の中の暴走は止まることはない。
またまた 怒らせてしまった・・・・・
わかってはいるのに・・・・衝動を止めることが困難だった。
今、3週間目に入って やっと自分の衝動を止められた。
しかも、今回も自分の力ではない 妻からのメッセージのおかげだ。
10年も苦しませたのに・・・それに比べれば私が変わったとはいは
まだ少ししか時間はたっていないのに、もう一度家族としてやりなおしてくれることを考えてくれたこと。
夫婦としての回復は、まだまだ時間はかかるだろうけれど・・・・
それでも、まずは大好きな家族と一緒にいられる。
私は、このLineをノートに張っている。
二度と、今までのような思いを「させない」「しない」ために・・・・
かなり、長文になってしまいましたが
私にとっても、残りの人生の起点はここなので書き残させていただきました。
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