先日も書きましたが、発達障害と診断されるのは、その人が置かれる環境によって決まるのです。
私自身も、夫婦間、家族間の共同生活において問題があったため、発達障害と診断されましたが、今の状態で診断されても、発達障害という診断はつかないでしょう。
仕事や家庭で、まわりとのコミュニケーションに難があり、支障があれば発達障害として、治療や療育が必要となりますが、問題がなければ、ちょっと変わった個性の強い人程度のこととなります。
パートナーの方は、白黒はっきりさせたいと思われる方も多いのですが、相手の特性において重大な問題があれば、それは『発達障害』と言ってもいいと思います。しかし、当事者からしてみれば「人を勝手に障害者扱いする頭のおかしいやつ」としか思わないでしょう。自分勝手だからとか、大きな声を出すからとか、喧嘩っ早いというだけで、発達障害として接していても、なかなか改善されることはないと思います。
発達障害という範囲も広く、定義が正確でもない発達障害に翻弄したところで仕方ないですからね。専門書を読んでもこだわり強さだとか、幅広い特性の原因は書かれているけれど、ひとそれぞれこだわりも反応も違うと書かれているだけ、ヒントは見つけられても解決策があるわけでもない。
結局、それぞれの原因やこだわりを分析して、お互いが少しずつ変わって行くことしかないのが現実です。
発達障害と診断されても意味がない
たとえ発達障害の診断を受けに病院に行っても最初に聞かれるのは、当事者に対して「何に困っていて、どうしたいのかです」まわりが困っているからと言って受け入れてくれる病院は少ないのが現状です。当事者に目的や目標がなければ何も変わらないからです。
基本的な考え方や感じ方については、生まれ持ってきた特性ですから基本的には変わることはありません。その特性による失敗を減らすよう、薬やルールなどを決めて対応方法を身につけて、自分の行動パターンの引き出しを増やして行くことが目的となります。
でも、それが「発達障害の治療」なのです。こだわりの強さが問題ではなく、その強いこだわりとどう付き合っていくかが治療です。
なぜ、すぐに怒るんだろう?
発達障害の人は、感情のコントロールが苦手ですぐにキレて大声を出したり、暴れたり、暴言を吐いたりすることも多いんです。やはり、怒ってばかりの人を見ていると、どうしても乱暴な部分だけに注目されがちです。しかし楽しい時、悲しい時などはどうでしょう。少し広い視線で見てみましょう。
意外に、ちょっとしたことで大袈裟に喜んだり、悲しい時に人目を気にせず泣いたりと、さまざまな感情で特殊な行動をとっていないでしょうか? 怒ってばかりで暴言も吐くからアスペルガーは乱暴な人だと思われがちですが、悲しんだり喜んだりする感情も全ての感情において感情のコントロールが苦手なのです。
意外と涙脆かったり、必要以上に不安がったり、人それぞれに特徴があります。
こだわりが多く、こだわりの強いアスペルガーにとっては、感情を左右する機会がとても多いのです。パートナーにとっても、大袈裟に喜ばれたり、大袈裟に泣かれても、あまり困ることはないですが、やはりいつも怒られると辛いですよね?
楽しいイベントでも
例えば、アスペルガーは、旅行や運動会や遠足などのイベントの前の日などに、ワクワクな感情を抑えることで必死になり眠れなくなることもあります。私も同じでパソコンを注文して納期に1ヶ月なんてかかると、それまで気持ちが落ち着きません。
他にも旅行やキャンプの途中楽しい時間を過ごしていると、楽しすぎて、もう次に行く旅行先やキャンプ場を調べ出したりします。そして、イベントが終わると、今まで楽しかった状態と一変して気持ちが荒れてしまうこともあるのです。そして、自分でもその不安定な気持ちがわかりません。
アスペルガーの人と旅行や出かけると、楽しい時間を共有していると思っていたのに突然相手が不機嫌になった経験はありませんか?
普通なら、「何がつまらなかったのだろう?」と考えますが、発達障害の人は、楽しいことを考えて感情のコントロールができなくなっているのです。そんな時に車を運転して変な割り込みをされるだけでスイッチが入ってしまったりするのです。
そうなると、まわりから見ると楽しい時でもいつも怒っている人と思われがちですが、きっかけと原因は怒りではなく、楽しいという感情の暴走から始まっていることも多いのです。
回避方法は?
簡単なことです。できるだけイベントごとを減らすことです。
でも、「楽しい時間も減らすなんて、何のため生きているの?」って感じですよね?
決して、「旅行やキャンプに行くな!」と言っているわけではないのです。
一度キャンプや旅行に行くと、限界なくはまり込んでしまうことが多いのです。しかし、そんなに毎週旅行やキャンプに行けるはずもありません。
例えば、好きなことをできる自分の時間をいっぱい持たせるとか、旅行先も近くて渋滞も少なく、人が少ない場所を選ぶだけでも、お互いに多くの刺激から逃れることができます。
私たち当事者は、そういう刺激に弱いことも、対処できないことにも気がついていないのです。
その当事者に、数多い刺激に対する行動を身につけるためのペースを変えてあげることは、大きな成果へとつながります。
もし、旅行の途中に、あそこももここも・・・と計画しているようだったら、「せっかく旅館に泊まるんだから、のんびり旅館の部屋や温泉を楽しまない? 観光スポットはまた来てもいいし」とゆとりある旅行を計画するよう誘導すると思います。
また、交通費がかかるから車を好む方も多いと思いますが、自由が効きすぎるうえ、突然のトラブルにも巻き込まれやすい車の運転は最悪です。
直通バスや電車など、不自由なスケジュールの方が予定にも余裕ができていいと思います。
「お酒も飲めるし、駅弁買って電車で行きましょうよ」と提案してみるのもいいと思いますよ。
キャンプなどでは、飯盒でご飯を炊いたり、ネットで調べた凝った料理を作りたくなる気持ちもわかります。「自然の中で非日常を楽しむのだ!」と意気込んで結果疲れたり、失敗してまたスイッチが入ることも多いのです。電源付きサイトで電子ジャーを持っていってもいいと思います。
あえて、贅沢な高級ハムなどの食材で切るだけの材料を多くして手を抜くことも大切です。炭代もケチらずいい炭を買って、着火剤などをバンバン使いさっさと火を起こした方が、アスペルガーを刺激せずにすみます。だからと言って、いっぱい材料を買って長い時間食事をしていたのでは、同じことなので、少し足りないくらいで音楽を聞いたり、本を読んだりと暇を楽しむくらいがいいと思います。そして、さっさと寝ることです。
「おれ、本当はこんなことしたかったんだよなぁ」「へえ〜いいね〜今度してみようか?」とイベントを分割して段階を重ねて、ペースを上手にコントロールしてあげながら計画を進めると、落ち着いて計画を練られたりします。任せっきりにしていると、あれもこれも、そしてあれもしないと、これもしないとと思い付いたことを全てやろうとして、結果全てがストレスとしかなっていないケースも多いのです。
人混みを避ける、行列ができる有名な食事なんて自殺行為の何者でもありません。
ボロい民宿の手料理でも食べ行った方がまだましです。例えまずくても人の少ない店の方が、気持ちが荒れる確率はグーンと下がります。
発達障害との共同生活
最初に書いたように、困った環境にいなければ、発達障害なんて言われないです。
ちなみに、当事者から見れば感情のコントロールができなくても、自覚もないし少し困ることはあっても、自分自身の人生においては困ることも少なく、発達障害なんて言われても「何言ってんだろう?」という話です。
まわりとコミュニケーションが取れず会社に居られないとか、夫婦関係が崩れて離婚の危機となり当事者自信が困った状況になった時に、はじめて自覚できるのです。
だからと言って、我慢ばかりしていても共同生活を持続させることはできません。
では、どうしたらいいののか、まずは逃げることです。
何かに夢中になっている時や、はまっているときは近づかないことです。
一緒に買い物なんて行かないことです。時間を決めて別々に見てまわった方がいいです。
デートするなら、映画など見たり話したりせずに2時間それぞれが、独立できるデートは最適です。
一緒に旅行に行ったら、いっぱい温泉に長く入っていましょう。
発達障害の人との共同生活は、とても距離感が大事になります。当事者も必要以上に関わろうとしてストレスにもなりますので、それぞれの時間はとても大切なのです。
私も、旅行はひとりで行くことが多いです。家族旅行ではブルーベリー狩りをして宿に行くとか、ヤマメ釣りだけをして宿に行くなどと、過密なスケジュールを避けています。旅行先では私だけホテルに先に下ろしてもらい、妻たちだけ遊びに行ったり、その逆ということもあります。お風呂の時間をあえてずらしたり、近くを無駄に散歩してみたりと距離を取ります。
もちろん、私生活でも同じですが、クリスマス会も誕生日も長い時間一緒にいないように心がけています。その短い時間のなかで最高のパフォーマンスをすることだけを考えています。
長い時間の共同生活は、お互いのためにならないことが多いと実感しています。
どう感じますか? 冷め切った家族のように思えますか? でも、その短い時間は私も家族もみんなニコニコして楽しい時間を過ごしているのです。それくらいのウェイトをかけて、ちょうど良い感じなのです。コミュニケーション能力の低い私に長時間の対応はできません。
お互いの気持ちが大切
発達障害の人と、世間一般的な価値観で「一緒にいたい」「愛し合いたい」「気持ちや価値観を一致させたい」と願っても発達障害の人には無理なのです。もし、それを望むなら期待しても希望は薄いと思って間違いありません。私のように感情のコントロールが苦手な発達障害の人もいますが、相手の考え方やまわりの評価ばかりを気にしてしまう発達障害もあります。一般的な価値観に執着して生活に支障きたす人もいます。
世間一般的な感情を持ったり、維持できない相手に、そういうことを望んでも無理というものです。だからと、我慢ばかりしていたのでは、逆に病気になってしまいます。
だったら、別のお互いが幸せとなれる形を考えることが大切なのではないでしょうか?
世間一般的な価値観と独自の価値観を押し付けあったところに、解決の糸口はありません。
我が家は、妻は興味を持った臨床心理士として、子供たちも勉強を充実させる子、友達との時間を大切にする子、ひとりの時間を満喫する子と、それぞれがそれぞれのしたいことを楽しんでいます。
友達との時間を大切にする娘は、いつも友達と買い物に行きお小遣いが足りないので、いつもお小遣いをあげる代わりに家事の手伝いをよくしてくれます。いろいろな考え方はあるとは思いますが、私たちは得意なことで家族を助け、それぞれが楽しめればいいと思っています。
私たちは、価値観も考え方もそれぞれがバラバラです。でも、お手伝いをしたお金で友達と遊ぶ子、仕事ばかりして家にいない妻、一人部屋に閉じこもっている息子、バスケや勉強を頑張っている娘と、それぞれが価値観も考え方も違いますが、お母さんはこういう人、お父さんはこういう人、お兄ちゃんは・・・、妹は・・・・とそれぞれが、それぞれの個性や価値観ゆ考え方を尊重しているため、価値観の違いや考え方の違いが問題になることは少ないです。
確かに、価値観や考えの違いから喧嘩になったり、歪みあったりすることが多いとは思います。
とくに、発達障害の人は、人との価値観の違いにパニックになることも多いのですが、その違いをお互いに問題にしたところで、解決策は見つかるでしょうか?
妻は魚料理は作りません。野菜も少ないです。私が出張の時は夜ご飯は弁当の時が多いし、夜カップラーメンなどをよく食べています。娘は適当な性格で、食べたアイスの袋や棒を平気でソファーに置きっぱなしにしたり、朝から晩まで動画やアニメを見ていたり、以前なら私の価値観との違いからブチ切れていました。
今は、そういう人、そういう子たちだと思い、軽く注意はしますが、それを守らなくてもいいと思っています。魚料理は私が時間のある時に作り、野菜は野菜ジュースをよく飲ませています。不器用な対応しかできない代わりに、感情の暴走を常に意識し、あえて考えないようにしたり、問題はできるだけ簡単な方法で解決するように心がけています。
まずは、誰が決めたか知らない常識に合わせるより、お互いが困っている問題をいかに簡単に解決していくかが大事だと思います。まずは、今までのお互いの常識に関する価値観を変えながら、お互いの価値観を見つけて行くことが、お互いの気持ちに合わせることになると思います。