離婚の原因を考えてみた。 第1回目

まず原因について考えられることを思い起こしてみようと思う。

当然、私も反省してまだ数日しかたっていない身です。
「そんな、あまいもんじゃね~子供を連れて離婚するまで考えるには
 それだけの覚悟があるんだよ~」
と実際に、近い口調で言われた。
わかっているだけでも書いてみよう。
まずは、自分を見直さないことには何も始まらない。

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でも・・・
当然、私にも言い分はある。
私だけが悪いとは思えない気持ちもある。
しかし、間違いなく 離婚まで発展すると私が悪いことは明確なので
とりあえず、自分の弁護は、いつか書くとして・・・・・
自分がやってきたことを、まずピックアップしようと思う。

読んでいると?なぜ?それが原因なの?
と思うかもしれませんが、そこにはいろいろな問題が絡み合って
他の人から見たら「いい旦那さんじゃないの」と言われがちな
行動が、妻を苦しめてきたこともたくさんあった。

先に書いておくが、

妻はそんな妻ではない!!若くて美人で優しくて強い!!私にとって 絶対にいてもらわないと困るパートナーです。私が間違えていただけです。

1.モラルハラスメント
「何もできない」「何もしない」そんな奴と思っていた。
※これは一番大きな問題だっと思う。これはまたピックアップして考えていきたい。2.我慢して我慢して最後に手が出たこともある。
これについては、過去にも失敗があったので自分でも
気を付けているのだけれど
「もうやめてくれ」と言っても言い返されると我慢できなかった。3.嫁と話し合いを一切しなかった。
話し合っても冷静に話が聞けなかった。めんどうだった。4.嫁には子育てができていないと思っていた。5.教育方針もすべて私が決めていた。
習い事の選択も私が決めた。

6.何を買うにしても私が決めていた。
家・洗濯機・車・冷蔵庫すべて私が決めてきた。

7.嫁が座ると、怠けているとしか思わなかった。
いつも私は行動が早く、朝食も夜ご飯もほとんど私が作ってきた。

8.子供とも滅多にいっしょに遊びに行こうとしないので子供たちがかわいそうと思っていた。
私は、毎週どこかに連れていくことだけを考えていた。

9.いつも舌打ちをしていた。
嫁はいつも、「それだけはやめて」と言っていた。
私がいつも責めている象徴的行動だったのだろう。

10.いつも怒っていた。
嫁は、できない社会人ががんばって会社に行っているような感じだったのではないだろうか?
私は北九州の出身で、言葉が汚く威圧的なのでちょっとしたことでも怒っているように聞こえた。

11.嫁の行動ひとつひとつが気に食わなかった。
今考えると、嫁をリビングに座らせるスキを与えていなかった気がする。

12.息子に厳しかった。
 息子のことは、めちゃめちゃ好きだった。だけれど
※息子も軽度のADHDらしい・・・私は、自分と重ねて同じように強く育てようとしていた。
息子については、また書きたいと思う。

13.嫁にも厳しかった。
  ちょっとでも、気が付くと注意していた。姑みたいなもんだった。

14.嫁に何もさせなかった。
嫁は、子供の時から何もしていなく食事もろくに作れなかった。
だから、朝食も晩御飯もほとんど私が作っていた。時々作ってくれても文句ばかり言っていた。
そうして、そういう生活が当たり前になっていた。

15.「お前は何もしない」「お前は何もできない」と言っていた。

まだまだある。
書いても書いても書ききれない。。。。
まあ、ここまで読んでも よく10年も我慢したと嫁を援護する人も多いことでしょう。
ただ私も何もしなかったわけではなく、いろいろ自分なりに反省していろいろ改善してきました。
でも、それは自分よがりの改善だったにすぎないのだろう。

反省点は、これから細かく書いていきたいと思います。